生前整理 | wai blog~日々是安泰~

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旅、子育て、暮らし、気づきを綴るblog。

実家の物の多さにため息をついている人も多いはず。

 

私もその1人。

 

生きてるうちに

元気なうちに

片付けてよね!

 

断捨離の番組を見ていても、よく出てくるシーンで。

 

老後を快適な家で過ごしてもらいたい気持ちもあるだろうが

 

死んだ後、片付けるのは私たちなんだからね!

そういう迷惑かけないでよ!

 

が本音なんだろう。

 

 

「これらは、あなたたちが、溜めてきた物でしょう?

使わないなら捨てなよ!

もう、きたないから捨てなよ!」

 

子供から出てくる言葉(たいていが娘よね)は、辛辣でありながらも、頷いてしまう人も多いだろう。

 

 

私も、同じだった。

 

収納がありすぎる家も、どうしたもんかと思う。

うちの実家は雪国あるあるで、一階は、車庫と物置。

 

 

『おかあさん 何に使うの こんなもの』

 

と一句読みたくなるような物で溢れている。

 

少なくとも母は、ここ数年、なんとかしようと努力中。

昔よりだいぶ減ってはいるが、私からしたら「?」の物だらけだ。

断捨離の本買ったり、テレビ見たりしているが、相棒の父が、どうにもこうにも…

 

 

それで、過去何回、言い争いになったことか!

 

 

「死んだら好きにしてくれればいい」

と父。

 

「それじゃあ、子供たちに迷惑かけるでしょ!今しなくてどうするのよ!」

と母。

 

もちろん、母が正しいし、その通りだし、片付ける体力あるなら、片付けてほしい。

 

 

でもね、最近は、別にいいかな、と思う。

 

そのまま大量のゴミのようなものを残したまま、

両親がこの世を去ったとしても

いいんじゃないかと。

 

私にはゴミに見えても

父から見たら、今は捨てたくない物なのだ。

 

きっと、なんらかの意味があるんだろう。

 

本人にしかわからないし、下手したら、本人もわかっていないかもだが。

 

団塊の世代の子供の頃の貧しさは、私には想像できない。

 

「ほしくてほしくて、でも手に入れられなかった様々な物たち」

その想いを、一生かけて解消し続けているのだとしたら

それはあまりにも大きな傷だと思うけど。

 

この傷を背負っている人を、たくさん見てきた。

 

 

物は少なくていい。

なんて言えるのは、たくさん与えられてきたからなんだと思う。

 

父にとっての、欠けを埋めるのが、物なのだとしたら、それは、父が生きている間には「役割のある物」なのだろう。

 

 

例えば、ペットボトル、パンのビニール袋だとか、カップ麺の空容器が散乱しているいわゆる汚部屋やゴミ屋敷のような状態なら、それは捨てようよ!片付けようよ!と言うけれど。

 

 

「よくわかんないけど、捨てられない。」

のなら、捨ててもいい、が湧いてくるまで待つか

本人がいなくなった後、残された者が処分するか。

 

それでいいのだと思う。

 

 

いわるゆる親孝行らしいことをあんまりしてこなかったし。

どちらかというと、与えられっぱなしで育ってきた私たち姉弟。

 

まぁ、弟がどう思っているかはわからないけど

私としては、最後少しくらい迷惑かけられてもいいんじゃないかな、という気持ちだ。

そういう恩返しもあっていい。

 

「なんでこんなものを捨てられなかったんだろう?」

と家族でわーわー言いあいながら、処分するのかもしれないし

 

業者さんに頼んで、一気にザザザーっと、持ってってもらうのかもしれない。


実際、この冬にそういう処分をしている家を見たので、業者に頼むと、無機質に処分してくれるんだ!と安心したのもある。いくらかかるか謎だけど。

 

外国みたいにご近所さんに向けてガレージセールとかやってみたいなぁ。

 

 

こんな風に思えたのも、タイムマシンの話を聞いたからかもしれない。

 

 

 

誰かのために、何かできる。

ということは、内容はどうあれ、見方によっては、幸せなことなんだと思う。

 

おかげさまで、両親は今のところ元気です。

もちろん、何かスイッチが入って、本人たちでサクサクと捨てていただければ幸いですけど。

 

そうじゃなくてもいいなぁ。

そのときは、私がなんとかするから、いいわ。

(私が元気な場合だけどね)

 

そう思えたことで、私自身の心がグーンと軽くなったのは、たしか。

 

wai