シンプルライフの気付きの続き。
ずっと、すっきりさせたかったキッチンのシンク下の収納。
いろいろな棚を設置したり、ファイルボックスを活用したり。
ネット検索すると素敵なものがたくさんある。
私も、かつては、収納棚やプラスチックケースを使ったりした。
しかし、結局、今の私には
これが一番使い勝手がよい。
プラスチックケースに入れたら、すっきりとは見えるが、使うときに、2アクション必要なのだ。
ドアを開ける⇒ケース内を探して⇒取る
しかし、単純に置くだけだと、
自然とよく使うものは手前にくる。
頭の形、容器の形、色、違うから
すぐに欲しいものがわかる。
ドアを開ける⇒取る
前は、上の空間がもったいないと思っていた。
空間全部、ビッチリ収納したいと思っていた。
それがお得だと。
今はそんな風には思わない。
びっしり入れたら、息がつまる。
空間が楽々呼吸できるくらい
広々空いてた方がいい。
贅沢な収納だ。
ここは、もう少し使い勝手よく工夫できそうだが、とりあえずこれでいこう。
毎日使うのは、手前の食洗機洗剤だけなのだから。
どこに何があるか、はっきりわかっていて、行動がシンプルなら、それで十分な気がする。
素敵な収納にずいぶん振り回されたが、それを越してやっと、自分がどれだけ使いやすいかが最重要だとわかったのかもしれない。
すると、自然とシンプルになる。
最新の素敵なものもよいだろう。
でも、私がたどり着いたのは、30年前と同じスタイルの原始的な掃除機だった。
紙パックで、ひっぱる系で、日本のメーカーだ。
ひとつ前のパワフルでさまざまな機能のついた掃除機は、毎回ヘッドに髪の毛や糸屑、埃が巻き付き、それを取るのも一苦労。
今は、
全く絡まっていない。
家を手入れするためのものなのに、そのもの自体もしょっちゅう手入れしないといけないって、大変だ。
いずれ箒とかになりそうだわ。
実際、母と叔母に箒をプレゼントしたら、大変喜ばれた。
それもまた、検討したい。
シンプルライフとは
やりたいことがサクッとできて
遮るものがないこと。
だから物を捨てすぎて、必要な時になくて慌てて、買いにいくってのも、違うと思うのだ。
物が極端に少なければよいというわけでもない。
必要なものがあって、なおかつ、自分が使いやすい状態である。
『あれ、どこに置いたっけ?』がないこと。
収納は白一色にしようとか、無印良品で揃えるとかの視覚の統一は、おまけみたいなもの。
見た目がきれいで素敵に統一されていても、いざというとき、出すのに苦労したり、毎回探しているとしたら、それはシンプルライフと言えるんだろうか。
整えた!
これで素敵に見えるぞ!
で心が満たされる部分もあるけれど
それよりも『私が最も使いやすい状態』のほうが満足度が高い。
生活がシンプルになるということは、生活しやすくなること。
結果、生きやすくなることに繋がる。
まだまだシンプルには程遠いところもあるけれど、私のペースで気づいた時に整えていけばよいのだ。
wai