感覚に素直になる | wai blog~日々是安泰~

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これから話す「素直さ」とは

自分の感覚に素直になるということ。


素直になって
行動してみる
ということ。


なんでもかんでもイエス
ということではない。


例えば
誰かに勧められたものを
全部やるってのは

素直さではないよ。


そんなことしてたら
詐欺まがいなことにもあうだろうし
余計なお金を払うことになるし
益々ややこしくなる。


大切にしてほしい素直さは
沸いてきた感覚に素直になる。
ということ。


昨日、友達に勧められて久しぶりにカードを引いたら、面白かった。ピンときたら、素直にやってみよう。



これが気になる
あそこへ行きたい
これ読んでみようかな
そういえば、あの子、どうしてるだろう

そういう感覚が来たとき
気になることが来たとき

素直に行動すること。


それが大切にしてほしい素直さ。




多くの人が
その湧いてきた感覚に対して

気のせいかな…
たぶん、意味はないよね
あとでやろう

という対応をする。


もったいないなぁと思うのだけど

それも仕方のないこと。


それと、あれが、繋がっているように
思えないから。

全然関係ないものや
得にならなそうなことは

極力やりたくないよね。



それでも素直な人は
感覚がきたら
ほいほい、とやるのだ。

すると、不思議なところへ
もっていかれる。




友達が、うまいこと言っていた。

「これやりたい!
おもしろい!
気になる!

こういう
不思議な高揚感や
わくわくした感覚って

誰が
湧かせてるの?


湧かせてる、って。

笑ったのだけど
確かにそうだ。


絶対に自分じゃないよね?


何か別の存在だよね。

私たちは
やかんを火にかけて
お湯を沸かすことはできるけど

自分で、自分のわくわくを
湧かすことは
できない。


「はい、今からわくわくします。」
で、わくわくしないし
それっぽくはできるけど

「これから気になることがきます。」
と思ったところで、
気になったりしない。



自然と湧いてくるのだ。

自分の力の及ばない
何かの作用によって。


だとしたら、
無視できなくない?


しかも、その気になる気持ちは
継続しない。

その時、だけ。


その時を逃すと
またシーンとしてしまう。


あとで、やれたとしても
もう、何かとの繋がりは
終わってしまっていることもある。




あの時だったのだ。

行動するのは、
湧いていた時が
ベストタイミング。


素直な人は
それができる。


素直に、
「はい、気になる想いが湧いてきたので
やってみようかね。」

で行動する。


それが違いなのだと思う。

wai