闘病生活の始まり?

 

 私には3歳年上のの兄が居ます。今年の誕生日が来たら63歳になるのですが、その兄が最初に「がん」の宣告を受けたのが2021年の秋のことでした。この時に告げられた病名は「胃がん」でした。

 

 義姉は診察後に電話をして来て第一声が

「みっちょちゃんごめん、初くん胃がんやった・・・・ホンマにごめんえーん

と電話の向こうで泣きじゃくっていた。私は息をのみ驚いたけど、何より兄を病気にさせてしまったこと悔いて妹の自分に謝る義姉の気持ちにも更に驚いた(私が義姉の立場だったとしても「ごめんなさい」と言った言葉は出なかっただろうと思う。なのにこの人は最初に誤りやった。凄い!と感心してしまった)

 

「なんで私に謝るん。辛いのは初くんとあんたやろあせる泣かんとき!それに今の時代のがんでも治んねんから!」

この時1時間近く兄の横でオイオイと泣く義姉に姪っ子とその娘…兄の孫えーんえーんえーん

 

「あんたらいい加減泣き止みびっくりマーク初くん、まだ死んでないねんヨびっくりマーク」と言う私の言葉に当の本人も「そやろびっくりこいつら俺を泣き殺そうとしてんねんwほんまになぁアセアセ

「あんな、この世の中に『絶対』と言うことが一つあってな、それは人間いつか『絶対』死ぬねん。それが早いか遅いかだけで。だからな、病気は受け入れなあかんで」と家族にいい聞かせていました。

。。。余談ですが、この時のこのセリフに私はDNAを感じました長音記号2何故なら私も普段から『絶対』の言葉の定義を同じ解釈で説いていたから(笑)

 

この会話から数日後に再び兄夫婦から連絡が入り

「あんな、俺運強いで!ゴッドハンドと呼ばれている胃がんの名医に出会えてな、その先生NHKでも取り上げられてるような先生で『私がちゃんと治してあげますよ』って言ってくれてんOK

と大喜びの報告。私もうれしくて「良かったな、良かったな!そんな巡り合わせも中々ないで。ほんまに良かったね」と喜びを分かち合いました。

 

 兄は「がん」を宣告された日、とっても気丈に振る舞っていましたが、内心は穏やかではなかったはずです。それは病気に罹ったことへの不安ではなく、幼少期から病院が嫌いで、自分が掛かることも、知人のお見舞いに行くことも・・・。

ましてやこの当時、新型コロナが真っただ中で「入院したら最後、家族にも会われへんねんぞガーン」と治療のために「入院」することが「恐怖」の対象になっていたのです。ですが家族の泣きじゃくる姿を見ていたお陰もあったのか、「治療」することには前向き姿勢だったのでそれも含めて「良かった」と思っていました。

 

 それから数か月後のこと・・・

「がんの治療をするのに色々調べてんけど、胃の外に『おでき』みたいなのが在って、珍しいタイプのがんみたいでな、先生もよく解ってなくて、、、そやけど何回か検査しに行くは病院」の報告がありました。

 

何度目の報告だったか忘れたけど、ある日の電話で

「あんな、何回か調べたけど、先生も驚いてたんやけど、俺のがんが消えてんねんててへぺろ」と大喜びの報告でした。

 

この時は義姉と兄とで「生命力が強くて良かったね飛び出すハート」な~んて話していました。