ヒモ
私の祖母は明治生まれの寅年。ま、干支は関係ないとして、とても厳しい人でした。普段母の代わりに私の身の回りの世話をしてくれているのですが、お転婆な私は良く叱られていました。
そんな時の私の逃げ場はいつも祖父の膝の上。叱られて泣きながら祖父の膝に座ると「良い子良い子」と頭をやさしく撫でてくれていました。
祖父は我が子にさえ(母たちのこと)そんな行為をしたことが無いそうで、出戻り娘が連れて帰ってきた孫はさぞ可愛かったに違いないと自分で言う(笑)
当時の娯楽と言えば映画かTV。祖父は無音声時代は新作が出る都度劇場へ足を運んでいたほどの道楽者・・・。
保育園から帰ってくると取りあえず祖父の膝へ。
銭形平次か大岡越前なのか、はたまた全く別の時代劇なのかは全く覚えていないのですが一緒に観ていました。
祖父がいつも居る部屋は祖父母の寝室…と言ってもベッドが置かれているわけではなく、昔ながらの綿布団を敷いて寝るスタイルでしたが。
祖父はほとんどその部屋で過ごしていました。
その部屋を出るのをあまり見たことが無いと言った方が正しいかも。
そんな祖父、お髭も自分で剃ったことがありません
祖母が洗面器にたっぷりの泡立てたせっけんを作り、それを祖父のお顔にのっけ、髭剃り用のカミソリで剃るのです。専用のカミソリなので定期的にメンテナンスもしていて、皮のような布のような・・・あれはいったい何なんだろ?
その上でカミソリを行ったり来たりさせていたのは画像として脳裏に残ってます。
若かりし頃も祖父は仕事をしたことが無いそうで
・・・・ひょっとして現在で言う「ヒモ」だったのか
・・・・それとも女を丸め込めて働かす悪徳旦那?
と想像を膨らませてしまったことも
母に聞いたら所謂金持ちのボンボンだったそうです
……今の我が屋を見聞きする限り、そんな時代の名残も微塵も無い……
少しは孫の代まで残しておいて欲しかったまっいいけどネ
じゃぁどうやって生計を立てていたか?
母から聞くところ祖父の実家から(跡取りではなかった)支援が在り、祖母が少し大きめの商いを営んでいたそうです。なので母は宝塚音楽学校を受験し、入団もできたようです
祖父と祖母は脚に障害があったので普通の人には嫁げないだろう・・・と昔はよくあるいとこ同士の結婚だったようです。
それが為に祖母は色々と苦労もして来たようですが。
「苦労」とは人それぞれ定義がちがうんだなと思いますが。
でも今考えるとどんな祖父だったんだと感じずにはいれない
けど、私の中では今でも頭を撫でてくれた優しい祖父のままです。
祖父が亡くなったのは私が保育園から幼稚園に換わろうとしたころで、祖父が亡くなった悲しさより、東京に暮らすいとこたちと会って遊べたことの方がうれしかったのを覚えています。後にこの日のことはいとこ同士で「嬉しかったよね」と話しています・・・許せ!おじいちゃん