女帝マリア・テレジアは、今更私などがわざわざ言うこともないと思うのですが、とにかく偉大な人でした。
女帝マリア・テレジア
彼女は18世紀ハプスブルク帝国の女帝で、その功績の優れたところをおおまかに言うと、オーストリアの近代化を推し進め、今日のオーストリアの政治、経済、軍事、教育、文化など、どの方面でもその源流をたどればマリア・テレジアに行き着くと言われているほどの、すばらしい手腕を持った政治家です。
けれどもその政治家としてのスタート地点は、スタート地点にもかかわらず、かなり困難に満ちたものでした。
そもそも「女が国家継承するとは何事だ!国際法違反である!」ということを口実に、彼女の即位によっていざこざが起こるところからその治世が始まったのです。
そしてその口実を良いことに、オーストリアは四方八方が敵、という状態にまで追い込まれ、軍隊までやってくる始末。
そしてそのような国家が生き残るか否かの重大なとき、よりによって経験豊かな老臣たちは自分の保身のことで精一杯でした。
彼らは、国を治める術などを今まで何一つ教えられてこなかったマリア・テレジアに対して、「相手の要求するとおりに、領土を少し割譲してやるのが良い」と言うばかりでまるで頼りになりません。
そのようななかでマリア・テレジアは当然の正義感に燃え、「領土は一切渡さない」と一喝。
このとき女帝は2児を抱え、さらに4人目を妊娠中だったにも関わらず、彼女はそれを実行するのです。
結局このとき、争点になっていたシュレージエンは奪われてしまうのですが、これらのことによってこのときの敵であったフリードリヒ2世は、マリア・テレジアを生涯にわたってライバル視
せざるを得なくなるほど手ごわい相手だったとして認知していくことになります。
ちなみにこのフリードリヒ2世、ナポレオンと並んで、優れた戦略家として有名な名将軍と言われているのですから、その彼にここまで認められるとは(しかも彼はそもそもは女嫌いで女を軽蔑している類の男性だったらしい!)、ここからもマリア・テレジアのすごさがひしひしと伝わってきます。
その後も様々なことに揉まれる中で彼女は、なんと16人もの子供を出産し、夫とも王族にしては珍しくきちんと恋愛結婚、結婚後もしっかり円満な家庭を築いたというのですから、彼女のエネルギーとは、常人にはとても追いつけないものがあります。
何とも、スケールの大きい人です。

彼女は18世紀ハプスブルク帝国の女帝で、その功績の優れたところをおおまかに言うと、オーストリアの近代化を推し進め、今日のオーストリアの政治、経済、軍事、教育、文化など、どの方面でもその源流をたどればマリア・テレジアに行き着くと言われているほどの、すばらしい手腕を持った政治家です。
けれどもその政治家としてのスタート地点は、スタート地点にもかかわらず、かなり困難に満ちたものでした。
そもそも「女が国家継承するとは何事だ!国際法違反である!」ということを口実に、彼女の即位によっていざこざが起こるところからその治世が始まったのです。
そしてその口実を良いことに、オーストリアは四方八方が敵、という状態にまで追い込まれ、軍隊までやってくる始末。
そしてそのような国家が生き残るか否かの重大なとき、よりによって経験豊かな老臣たちは自分の保身のことで精一杯でした。
彼らは、国を治める術などを今まで何一つ教えられてこなかったマリア・テレジアに対して、「相手の要求するとおりに、領土を少し割譲してやるのが良い」と言うばかりでまるで頼りになりません。
そのようななかでマリア・テレジアは当然の正義感に燃え、「領土は一切渡さない」と一喝。
このとき女帝は2児を抱え、さらに4人目を妊娠中だったにも関わらず、彼女はそれを実行するのです。
結局このとき、争点になっていたシュレージエンは奪われてしまうのですが、これらのことによってこのときの敵であったフリードリヒ2世は、マリア・テレジアを生涯にわたってライバル視

ちなみにこのフリードリヒ2世、ナポレオンと並んで、優れた戦略家として有名な名将軍と言われているのですから、その彼にここまで認められるとは(しかも彼はそもそもは女嫌いで女を軽蔑している類の男性だったらしい!)、ここからもマリア・テレジアのすごさがひしひしと伝わってきます。
その後も様々なことに揉まれる中で彼女は、なんと16人もの子供を出産し、夫とも王族にしては珍しくきちんと恋愛結婚、結婚後もしっかり円満な家庭を築いたというのですから、彼女のエネルギーとは、常人にはとても追いつけないものがあります。
何とも、スケールの大きい人です。