国王ルイ14世の食事メニューとは一体どのようなものだったのでしょう。
アカデミー・フランセーズの会員であった、ジョルジュ・ノートルの著書を参考に、まとめてみます。
『ルイ14世の胸像』 1665年 ル・ベルナン作
ルイ14世27歳の頃
朝食はブイヨンと呼ばれるコンソメスープ1皿か、サルビアのハーブティーを一杯。
水で割ったワインに砂糖を加えて甘くしたものにひたしたパンを数切れ。
非常に軽食です。
が・・・・、驚くべきはこれから始まる正餐なのです。
まず食事はポタージュから始まります。
正餐ではなんと、ポタージュは6品も出ます。
そしてこのポタージュ、日本でいう「ポタージュ」を思い浮かべてしまっては大誤解です。
フランス語や英語ではスープを「食べる」と言いますが、まさにその言葉の通り、フランス18世紀ごろのポタージュは液体が主役ではありません。
日本でいうなら鍋料理のように、具が主役、スープは脇役です。
何といってもこの時代の礼儀作法の本には、「スープはフォークで食べてはいけない、スプーンで食べるのだ」といったことを繰り返し説いているらしく、それからもその当時のスープが固形メインであったことが予測できます。
ではその材料は何か。
例を見てみると、二羽の去勢鶏、山うずら4羽、若鶏6羽・・・といった調子なのですから、これが6品ある状態とはかなりのボリュームになるはずです。
次に出るのはアントレ。
これはどのようなものかというと・・・・仔牛一頭の四分の一を使った料理で、全部で約14キロもあるもの、12羽の鳩を使ったパイ、鶏6羽のフリカセ、山うずらのミンチ、山うずら3羽の肉汁煮、パイ6個、七面鳥2羽の焙り焼き、トリュフを詰めた若鶏3羽、など。
そしてメイン・ディッシュ。
脂のよくのった去勢鶏2羽、若鶏9羽、鳩9羽、幼鶏2羽、山うずら6羽、パイ4個。
最後にデザート。
果物2桶、乾燥ジャム2種、果実の砂糖煮またはジャム4種。
あと、ジョルジュ・ノートルの著書には載っていないのですが、ルイ14世はトリュフのサラダが好きで、きっとこれらのほかにそのサラダも食べていたのではないかと思われます。
これらの品目リストを見ただけでこちらまでかなり満腹になってくるほどの恐ろしいボリュームですが、このあと夜の10時に始まる夜食では、正餐に負けないほどの料理が用意されたようです。
しかも「夜食」なんて名前にもかかわらず、これまた主役は肉料理で・・・
もちろん、これらの料理は全て食べきるわけではありません。
テーブルに置かれた山盛りの料理のなかからルイ14世が指示したものを少量、国王の皿に給仕が取り分ける、というような方式で行なわれたよう。
それを聞くと、なーんだとつい胸をなでおろしたくなってしまいますが、しかしルイ14世は20世紀最大の食通の一人であるといわれているキュルノンスキーに、
「近年の食道楽の中で最も旺盛な食欲の持主でも、ルイ14世やルイ16世が一度の食事で食べた量の8分の一食べるだけで満腹してしまうだろう」
と言われているくらいですから、なめてかかってはいけません。
しかもこれは肉食に慣れたフランス人のことであって、日本人はその16分の一も食べられないだろう、と言われているようです。
これは恐ろしい・・・
食卓の盛り付け例
参考:本城靖久『18世紀パリの明暗』
アカデミー・フランセーズの会員であった、ジョルジュ・ノートルの著書を参考に、まとめてみます。

ルイ14世27歳の頃
朝食はブイヨンと呼ばれるコンソメスープ1皿か、サルビアのハーブティーを一杯。
水で割ったワインに砂糖を加えて甘くしたものにひたしたパンを数切れ。
非常に軽食です。
が・・・・、驚くべきはこれから始まる正餐なのです。
まず食事はポタージュから始まります。
正餐ではなんと、ポタージュは6品も出ます。
そしてこのポタージュ、日本でいう「ポタージュ」を思い浮かべてしまっては大誤解です。
フランス語や英語ではスープを「食べる」と言いますが、まさにその言葉の通り、フランス18世紀ごろのポタージュは液体が主役ではありません。
日本でいうなら鍋料理のように、具が主役、スープは脇役です。
何といってもこの時代の礼儀作法の本には、「スープはフォークで食べてはいけない、スプーンで食べるのだ」といったことを繰り返し説いているらしく、それからもその当時のスープが固形メインであったことが予測できます。
ではその材料は何か。
例を見てみると、二羽の去勢鶏、山うずら4羽、若鶏6羽・・・といった調子なのですから、これが6品ある状態とはかなりのボリュームになるはずです。
次に出るのはアントレ。
これはどのようなものかというと・・・・仔牛一頭の四分の一を使った料理で、全部で約14キロもあるもの、12羽の鳩を使ったパイ、鶏6羽のフリカセ、山うずらのミンチ、山うずら3羽の肉汁煮、パイ6個、七面鳥2羽の焙り焼き、トリュフを詰めた若鶏3羽、など。
そしてメイン・ディッシュ。
脂のよくのった去勢鶏2羽、若鶏9羽、鳩9羽、幼鶏2羽、山うずら6羽、パイ4個。
最後にデザート。
果物2桶、乾燥ジャム2種、果実の砂糖煮またはジャム4種。
あと、ジョルジュ・ノートルの著書には載っていないのですが、ルイ14世はトリュフのサラダが好きで、きっとこれらのほかにそのサラダも食べていたのではないかと思われます。
これらの品目リストを見ただけでこちらまでかなり満腹になってくるほどの恐ろしいボリュームですが、このあと夜の10時に始まる夜食では、正餐に負けないほどの料理が用意されたようです。
しかも「夜食」なんて名前にもかかわらず、これまた主役は肉料理で・・・

もちろん、これらの料理は全て食べきるわけではありません。
テーブルに置かれた山盛りの料理のなかからルイ14世が指示したものを少量、国王の皿に給仕が取り分ける、というような方式で行なわれたよう。
それを聞くと、なーんだとつい胸をなでおろしたくなってしまいますが、しかしルイ14世は20世紀最大の食通の一人であるといわれているキュルノンスキーに、
「近年の食道楽の中で最も旺盛な食欲の持主でも、ルイ14世やルイ16世が一度の食事で食べた量の8分の一食べるだけで満腹してしまうだろう」
と言われているくらいですから、なめてかかってはいけません。
しかもこれは肉食に慣れたフランス人のことであって、日本人はその16分の一も食べられないだろう、と言われているようです。
これは恐ろしい・・・


参考:本城靖久『18世紀パリの明暗』