ヴェルサイユ宮殿をつくった、偉大な太陽王ルイ14世の食事風景とはどのようなものだったのでしょうか。

狩のときの休憩 1737年

ルイ14世の生活は、まるで豪華絢爛のオペラか劇場といったような感じで演出されていました。
国王の生活は朝の起床から就寝まですべて儀式、儀式、儀式。
すべてが公開行事であり、すべてが人びとの目にさらされているといった状態のなかで、国王はみなの期待に応えるために24時間主役を演じ続けます。

そのような生活ですから、もちろん食事の時間だって大変な行事です。

国王の食事をお世話するために仕えていた人間は、498人
この大群は、まず宮殿に付属した調理場で腕を振るう。
けれども、宮殿に付属しているとはいっても、この調理場のある場所は別の建物だったので、王の待つ部屋に行くまでにはかなりの距離があり、それゆえもちろんかなりの時間かかかる。

以下は本城靖久『18世紀パリの明暗』より抜粋。

「国王の食事に時間になるとまず、二人の衛兵に先導されて、金ぴかのバトンを手にした第一家令を先頭に、36名の給仕役の貴族と12名の給仕頭から成る行列が料理を運んでくる。
この行列は調理場を出ると街路を横断し、調理場にちょうど面した門から宮殿に入り、階段を昇って二階に達する。
数々の回廊や広間を通り抜けて、やっと国王の食卓に辿りつくが、そのころには熱かった料理もかなり冷えているという仕組み。」

たかが食事を運ぶのに、約50人がバトンを持った人に導かれて行進する、というところがとても無邪気で愛らしい感じがしてしまいます(笑)
これに加えてきっと、毒味の時間もあったのでしょうから、これ以上に時間がかかっているのだと思います。
日本の幕府などでも、将軍は暖かい料理にありつけなかったので猫舌だったというような話を聞きますから、きっとどこの国でも、王様というのはこのようなものだったのでしょう。
ただヴェルサイユの場合は、ルイ15世の時代になってから、食事が冷えることに関しては改善策がとられたようです。

ちなみに17世紀フランスでは、まだ決まった場所で食事をとるという習慣がなかったようで、王の寝室か、または王が食べたいと思ったどこかの場所かで食事をとっていたようです。
料理を運ぶのもそのつど場所が変わるのではなかなか大変ですねぶーぶー