王の寵姫という職業があります。
この職業は、まあ言ってしまえば王の愛人なのですが、けれど主に16世紀~18世紀の間では、首相と同じように公式に認められた役職でした。
その仕事内容は、大きくわけると性的なもの一般的なものに分かれます。
性的なものは、もちろん王に対する肉体の奉仕ですが、ほかに一般的なものとしては、

●文学、音楽、建築、哲学などといったような芸術的な分野の助成
●美しさを武器に、外国の使節を懐柔するといった、外交官的な役割
●王の精神的分野でのケア(怒ったときはなだめ、塞ぎこんだ時は気晴らしをさせ、弱気になったときは励ます、など)


といったようなものがあげられます。
場合によっては人選や政治などにも干渉することがあり、会議などに出席する寵姫もいたようです。

寵姫とは所詮は王の愛人なので、その性欲の都合上、きっと歴史に記録されていないような昔から存在していたのではないかと思われますが、その存在が囁かれ賑わいだしたのは中世が終わりを告げるあたりから。
王の寵姫を描いた、現存する最古の絵画は、ジャン・フーケ(15世紀フランスを代表する画家)が描いたアニエスの肖像画です。
(ちなみに信仰心の厚い中世の時代に、王の私生児を生んだ寵姫を聖母と重ね合わせるように描いたこの絵は、きっと当時多くの人が反感を抱いたことと思います)

アニエス・ソレル (シャルル7世寵姫)

愛妾に「公認の寵姫」という称号を付けた最初の王は、フランスのフランソワ1世(1494~1547)
16世紀後半の寵姫は、その後200年のヨーロッパでも例を見ないほどの権力を握ったと言われています。
そして、このあたりの時代からは、ヨーロッパ中がフランスのファッションや建築、音楽、芸術を真似するようになっていくので、フランスが発明した寵姫システムも、スペインを除いて次第に広まっていくことになります。
寵姫というものは、国のステータスを表す存在となっていくのです。

けれども寵姫というシステムは、フランス革命後にはまた変化していくことになります。
その時代になってくると、寵姫というものは存在していたにもかかわらず、それ以前のような派手さやめざましい活躍ぶりはあまり見られなくなっていく。
過去の寵姫たちが報酬として手にしたような、公爵夫人や伯爵夫人に叙されたりする名誉だとか、宮殿や城が贈られるとか、高額の手当て閣議での席王宮内の贅沢なスイートなどは一切望めなくなり、その代わり手にすることができるようになったのは、せいぜいが都会風の小奇麗な家少々の宝石街一番のブティックでつけで買い物ができること上流階級のパーティーに招いてもらえることぐらいのものでした。
そして民主主義が到来すると、王室は次第に、その存在を隠すようになっていきます。

けれどもその全盛期、王の寵姫とは、影の権力者です。
歴史には大して名前を記されませんが、歴史を実際に動かしたのは寵姫である場合ですらあります。
フランスにはこのような形で、女性が元気に立ち回っていた時期があるのですが、残念ながら日本人である私には、簡単にその状況が思い浮かべられません。
そのせいか、一体宮廷にはどのような空気が流れていたのか、どのようなニュアンスでそのようなものが承認されていたのか、私はすごく興味があるのです。