偉人が大好きです。
何故なら偉人はいつも、とても色っぽくてセクシーだから。
人間に対してそういうものを感じる瞬間には、「才能」と「権力」というものとのかかわりが強いと思うのですが、偉人にはそのどちらかが必ずといっていいほどつきまとっているように思います。
(もちろん、そうでない色気というのもあるし、偉人といってもそうでない偉人もいるかもしれませんが)
『王の夜のバレ』で「昇る太陽」を踊るルイ14世
ところで偉人とは普通、社会にとても大きな利益をもたらしたりだとか、そういう「社会に貢献する」ということがポイントになっているような気がしますが、私がここで言う「偉人」は、あえてそのような基準を無視しています。
もちろん「社会に貢献する」という偉人もとても素晴らしいと思いますが、私がいつも、つい注目してしまう偉人の特徴をあげてみると・・・
1.もはや「偉人=奇人」といってもいいような、他ではなかなかお目にかかれないほどの強烈な独自性や極端な偏りをもっていること。
2.神の気配を感じるもの。(※詳しくはプロフィール参照)
といったような感じでしょうか。
本来なら「奇人」といっていいようなものを何故「奇人」と呼ばずに「偉人」と呼ぶのか。
実はこの違いがポイントになっています。
これはどうしてかというと、私はそのような強烈な独自性を、世間体を気にすることなしに充分に発揮できた人に対してとてもすごいなと思うからです。
そしてこのような性質は、一歩間違えると犯罪者になってしまう危険性もあるなかで、それに傾かず絶妙なバランスを保って何かをやり遂げた人は、本当に尊敬するからです。
(中には犯罪者といっていいような人も含まれるかもしれませんが、そのような人の場合は、何かそこに人間の真実のようなものを感じるのです)
そしてそのような人に、ただ「珍しい」といったような好奇の視線で眺め、「奇人」だ「奇人」だといって騒ぎ立てるようなことが、私にはどうしてもできません。
私にとって尊敬する人というのは、確かに個人的ではありますが、やっぽりそれは私にとっての「偉人」と言っていいのではないでしょうか。
そのような意味合いで、私は偉人というものをとらえています。
何故なら偉人はいつも、とても色っぽくてセクシーだから。
人間に対してそういうものを感じる瞬間には、「才能」と「権力」というものとのかかわりが強いと思うのですが、偉人にはそのどちらかが必ずといっていいほどつきまとっているように思います。
(もちろん、そうでない色気というのもあるし、偉人といってもそうでない偉人もいるかもしれませんが)

ところで偉人とは普通、社会にとても大きな利益をもたらしたりだとか、そういう「社会に貢献する」ということがポイントになっているような気がしますが、私がここで言う「偉人」は、あえてそのような基準を無視しています。
もちろん「社会に貢献する」という偉人もとても素晴らしいと思いますが、私がいつも、つい注目してしまう偉人の特徴をあげてみると・・・
1.もはや「偉人=奇人」といってもいいような、他ではなかなかお目にかかれないほどの強烈な独自性や極端な偏りをもっていること。
2.神の気配を感じるもの。(※詳しくはプロフィール参照)
といったような感じでしょうか。
本来なら「奇人」といっていいようなものを何故「奇人」と呼ばずに「偉人」と呼ぶのか。
実はこの違いがポイントになっています。
これはどうしてかというと、私はそのような強烈な独自性を、世間体を気にすることなしに充分に発揮できた人に対してとてもすごいなと思うからです。
そしてこのような性質は、一歩間違えると犯罪者になってしまう危険性もあるなかで、それに傾かず絶妙なバランスを保って何かをやり遂げた人は、本当に尊敬するからです。
(中には犯罪者といっていいような人も含まれるかもしれませんが、そのような人の場合は、何かそこに人間の真実のようなものを感じるのです)
そしてそのような人に、ただ「珍しい」といったような好奇の視線で眺め、「奇人」だ「奇人」だといって騒ぎ立てるようなことが、私にはどうしてもできません。
私にとって尊敬する人というのは、確かに個人的ではありますが、やっぽりそれは私にとっての「偉人」と言っていいのではないでしょうか。
そのような意味合いで、私は偉人というものをとらえています。