このうえなく最高のものを形に表したいと思うとき、それを表現すればするほど、俗っぽくなっていくものです。
芸術などはそれを了解したうえで、それでもあえて表現を試みるものなのですが、この矛盾を上手く回避した表現方法というものがあります。
それは、「そこに今ないものを想像させること」です。

例えば、もし小説で「このうえもなく素晴らしい音楽」と表現した場合、読者はそれに対して、それぞれが抱くそれぞれの最高の音楽を想像することになります。
もしそこで実物を実際に読者に聴かせていたら、たとえその音楽が本当に素晴らしいものであったとしても、人にはそれぞれ好みというものがあるので、ある人には最高だと思っても、他の人には悪趣味だと思うようなことがある。
そしてそれは、どうしても避けることのできないものなのです。
もしこのようなことがあると、その「このうえもなく素晴らしい音楽」という名目は、簡単に興ざめしてしまいます。

けれど、それをあえて実物を聴かせなかったとする。
すると、確実に幻滅を覚える人の数は減少します。
何故なら、実物を聴いていないのだから、幻滅のしようがないからです。
そしてそれは、「素晴らしい」という、漠然とした情報で輪郭をぼやかすことによって、読者に完全な想像の自由を与えることになります。
それによって、厳密にはそれぞれ違うものを想像しているのかもしれないけれど、とにかくその人その人が思う「最高のもの」というものを各自で勝手に作り上げ、想像してもらえるのです。
自分が最高だと思うものを思い浮かべるのですから、それに幻滅するはずがない、というからくりです。

実はこのあいだ、こういうからくりを上手く利用した映画を鑑賞しました。
それは、これです。

パフューム ある人殺しの物語 スタンダード・エディション
¥3,591
この作品は映画なので、この作品内で語られている匂いは、私たちには絶対に嗅ぐ事ができません。
けれど、見ている私は、ずっとこの匂いを嗅いでいるような心地で映画を鑑賞している。
見終わったあとで、何かその残り香のようなものまでも感じているのだから、本当にすごいとしか言いようがありません。
ないものを一生懸命想像しつづけることは、実はすごくパワーを必要とします。
だからきっと、もしこの映画から本当にその香りそのものがたちこめていたとしても、それは私が、想像しようと映画を見ている間中ずっと努力し続けた香りより、早く忘れてしまうのではないでしょうか。

見終わってかなりたった今でも、私が想像した香りはまだ強烈に香り続けています。