マリー・アントワネットは愚かだとかよく言われますが、最初のうちは努力ということをしなかっただけで、本当はなかなか賢い人だったんじゃないかな、と私は思います。
その根拠のひとつに、マリーアントワネットが書いたといわれるこの文書があります。
第二王子の教育係を新しい家庭教師、トールゼン夫人にゆだねたたとき、その夫人にあてたものです。




その恰好や風貌については、あなた自身ご覧になることですからいいません。
健康状態はいつもたいへん良好でしたが、しかし神経が鋭敏で、ちょっとした物音にも感ずるということは、ゆりかご時代から目につくところでした。(略)
神経が細いため、聞きなれない物音にはいまでもおびえます。
たとえば犬をこわがりますが、これは近くで吼える犬の声を聞いたことがあるせいです。
私は無理に犬を見させるようなことは致しませんでした。
物心がつくようになれば、そんな恐怖は自然になくなると思うからです。
元気で頑丈な子供たちがそうであるように、王子はとつぜん怒り出した場合、たいへんわがままで猛烈です。
しかし腹を立てさえしなければ、いい、やさしい、可愛い子です。
自尊心といったものも大いにありますが、それはうまく導けば、将来長所となる点です。
すっかり親しくなるまでは、だれに対しても王子は自分というものを抑えることも知っており、もどかしさや怒りをも隠すすべを心得ていて、柔和な愛想らしい様子を見せます。
約束したことは必ず守りますが、おしゃべり屋さんで、何か聞いたことがあるとすぐ口にし、別に嘘をつくつもりでなしに、ひとさまの言葉に自分の想像をつけ加えることがよくあります。
これは王子の最大欠点で、絶対に矯正しなければならない点です。
この点を別にすれば、くりかえし申すようですが、いい子供です。
だからやさしく、しかし同時に甘やかさないだけの力をもってすれば、べつだんあまりきびしくしないでも、たやすく導くことができるでしょうし、どうなりともできるでしょう。
きびしくしても憤慨させるだけの事でしょう。
というのは、王子は年の割に特色のはっきりしたところがあるからです。
一例を申しますなら、『ごめんなさい』という言葉には、ごく小さい頃から激昂するのでした。
自分が悪かったと思うと、どんなことでも言われたとおりに、したり言ったりしますが、しかし『ごめんなさい』という言葉はなかなか口に出ず、この言葉を口にすることが信ぜられないほど苦痛なようで、泣くにきまっています。
私たちははじめから、子供が私を信頼し、何か間違ったことをしでかした時には、私にいうように育ててきました。
それは、私が子どもたちを叱る場合にも、彼らがしたことを起こっているというようなようすを見せないで、私自身が傷つけられ、当惑しているといったふうにいつもしてきたからです。
私が一旦申したことは、是でも否でも、いっさい取り消しなしというふうに子どもにいは仕むけてきましたが、そういう場合、子どもたちに、また彼らの年ごろで分かる範囲の根拠を示すようにして、単にそれが私一個の気まぐれでないことを、信じさせるように致してきました。
王子はまだ字が読めません、そして勉強も嫌いです。
非常に気の散った性で、努力するというふうはありません。
自分の高い地位については何も知っていませんが、これはこのままのほうがいいと切望致しております。
自分が何者たるかはすぐ分かることですから。
姉を心から愛しています。
何か楽しいことがあると、どこかへ出かけるというようなことでも、贈物を戴いたというような場合でも、同じ楽しみを姉とも分かちたいというのが、王子の第一の望みです。
生来王子は明朗です。
そして戸外の空気に大いに触れるということが、彼の健康上必要です・・・



この第二王子は、マリー・アントワネットが『愛のキャベツ』とあだ名をつけて可愛がった、愛息子です。
全ての兄弟のなかで一番可愛がっていた、との記録もあるほど。
さらに第一王子は健康上の理由で亡くなっているので、愛情は並々ならぬものがあったと思います。
けれど、この文書を読むと、溢れる愛情におぼれている様子がありません。
非常に冷静に、王子の長所と短所を分析しているように思えます。
そして可愛いあまり王子のことをすべて自分がやってあげよう、などというのではなく、王子の出来ることをしっかりと認め、絶妙な距離感を保って自立とその補助をしているように見えます。
このような子育ての仕方というのは、案外難しいものです。
母とは盲目になりやすいものだからです。
けれど、マリー・アントワネットはそうではない。
王子に与える自分の言動についても、こんなに自覚的なのですから、単なる無知な、わがままな王妃だったとはとても思えないのです。

マリー・アントワネットの母としての姿は、とても感動的です。