マリー・アントワネットの波乱万丈な人生に興味を抱く人というのは多いらしく、彼女に関する本は本当にたくさん出ていますが、その本の数くらい、マリーアントワネット像というのは存在しているようです。
その中で最も私が気に入った、というか納得のいくマリー・アントワネット像があります。
それは、シュテファン・ツヴァイクの描くマリー・アントワネットです。
私が納得できるか否かは、その人が主張する悲劇の質にかかわっていると思うのですが、シュテファン・ツヴァイクの悲劇はただ単に感傷に流されるのでない、緻密な人間分析がされているように見えること、そして何を悲劇としてとらえるかということが、安っぽくなく、とてもセンスが良いと思うのです。
彼の描くマリー・アントワネット、またはその悲劇とは、このような感じです。

王妃マリー・アントワネットの物語を綴るということは、弾劾する者と弁護する者とが、だがいに激論のかぎりをつくしている、いわば100年以上にもわたる訴訟を背負い込むと同じことである。
議論が激情的な調子をおびているのは、弾劾者側のせいである。
王政にとどめをさすために、革命はこの王妃を槍玉にあげねばならなかったし、しかも王妃の女としての側面を攻撃せざるをえなかった。(略)
マリー・アントワネットは、王党派の祭りあげた偉大な聖女でもなければ、革命のとなえた娼婦、「賤業婦」でもなかった。
彼女は可もなく不可もない性格の持主であり、ただの一女性であって、特別賢いわけでもなく特別馬鹿だということもなく、火でもなければ水でもなく、善行に対する特別の力を備えていたわけではないが、そうかといって、悪事を犯す意志はもうとうなかったというわけではなく、昨日の、今日の、明日の平々凡々たる一女性、真人的なものに心を傾けることもなく、英雄的なものを意志するでもなく、したがって一見ほとんど悲劇の対象にもならぬていの凡婦であった。
しかし歴史というこの偉大な造物主は、感動的な芝居を打つのに、べつに主役を必要としない。悲劇的緊張は、ずばぬけた人物から生ずるばかりでなく、またいつでも人間がその運命と不釣合いであることによって生ずる。
悲劇的緊張が芝居がかってあらわれる場合もあり得る。
巨人、英雄、天才がその持って生まれた使命に対してあまりに窮屈な、あまりに敵意にみちた環境と、抗争におちいる場合がそれである。(略)
しかし中庸の人物が、あるいはそれどころか、弱々しい天性の持主が巨大な運命にまきこまれ、彼らを圧しつぶしてしまうような個人的責任を背負い込む場合にも、それに劣らず悲劇性が示されるのであって、この型の悲劇のほうが、私にはいっそう人間的に感動的な悲劇形式であるとさえ思われる。(略)
このような中庸の人物を、時あって運命が掘り起こし、有無をいわさぬその鉄拳によって、彼ら本来の凡庸さを強引に抜け出させることができるということに対して、マリー・アントワネットの生涯はおそらく史上最も顕著な実例である。
この女性はその38年の生涯の最初の30年間、もちろん際立った雰囲気においてではあるが、とるにたらぬ人生行路を歩んでいる。
善行においても、悪事においても、並の度を越すことはけっしてない微温的な魂の持主であり、可不朽ない性格の人物であって、歴史的に見ても最初のうちは単なる端役にすぎない。
彼女の嬉々とした、とらわれない遊びの世界に革命が闖入してこなかったならば、それ自体とるにたらぬハプスブルク家のこの一皇女は、あらゆる時代の何百万という女性と同じように、悠々閑々として生きのびたことであろう。
彼女はダンスを踊り、おしゃべりをし、恋し、笑いさざめき、お化粧をし、訪問をし、慈善を施したことであろう。彼女は子供を産み、そしてあげくのはては静かに死の床に横たわったであろう。(略)
生きた人間のただひとりも、彼女の人物を問題にし、その消えうせた魂を探ろうという要求を感じなかったであろうし、なんぴとも彼女がいかなる人間であったかを知らないで終わったであろう。(略)
彼女自身、フランス王妃マリー・アントワネット自身も、あの試練を受けなかったならば、自分が何者であったかを知らずじまいにおわったことであろう。(略)
いまだかつて自分自身のことを問うこともしなかった、試練を受けたこの女性も、ついにはその苦悩のうちに愕然として、ついにおのれの変貌を識る。(略)
「不幸のうちに初めて人は、自分が何者であるかを本当に知るものです」
という、なかば誇りやかな、なかば打ち驚いたこの言葉が、とつぜん彼女の驚いた口から洩らされる。
まさにこの苦悩によってこそ、彼女のささいな平凡な人生も実例として後世に生きるところがあるという一種の予感が、彼女を襲う。
そしてこのような一段と高い責務の自覚によって、彼女の性格は自分自身を超えて成長する。
はかない形が崩壊する直前に、芸術品、永続的な芸術品が実現する。
最後の最後の瞬間に、平凡人マリー・アントワネットはついに悲劇の域に行きつき、その運命と同時に偉大となるからである。
~シュテファン・ツヴァイク、高橋 禎二『マリー・アントワネット』より
マリー・アントワネットが平凡だとか、最初は並の人生を送っていたなどの言葉に違和感がある人もいるかと思います。
それについては、とりあえずは実際にツヴァイクの本を読んでみることをおすすめします。
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