「カニング・ジュエル」

ルネサンス期の名作。
男性の人魚がメドゥーサの首を切り取ったところを描いたペンダント。
16世紀後半、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館蔵


ジュエリーというとそれは女子供が身につけて遊ぶ他愛のないもの、または金持ちの見せびらかし、自己顕示欲の高まり、みたいな、魅力的ではあるが重要ではないそこに強くこだわり続けることは愚かなことであるといったようなイメージがぱっと思い浮かぶように思います。けれど、原始から存在する装身具の類を見ていると、もっと何か違ったニュアンスを感じる気がします。
何故なら、物がたいして豊かでもない原始時代からわざわざ装身具の類が存在しているということに何かただならないものを感じるし、アクセサリーとは大抵は小さな物が多いけれども、そのような取るに足らない、お腹も膨らむわけでないものに、これでもかというほどの複雑な装飾をほどこすのは、並大抵の志ではできないことだと思うからです。
そんなことから、ここには何か、そうしなくてはならない、そうせずにはいられない必然があるのではないか、と思ってしまうのです。

ちなみに、装身具というものが存在するわけについては多くの専門家たちが考え、語っていますが、いくつかの説にわかれ、これだという説が完全に決定してはいない、つまりあまりよくはわかっていないというのが現状のようです。


ジュエリーとは何か

呼び名はいろいろあって、ジュエリー宝石装身具アクセサリー宝飾品などと呼ばれる。
人間が美しいと思うもので、それらが自然そのものの姿であっても、加工したものであっても、己の身体を飾るもののことをいう。


装身具の起源

主に4つの説がある。

1.護符説
原始社会に存在しているさまざまな危険にたいしてのお守りとして生まれたという説。古い装身具のなかには強い動物、例えば虎や熊、獅子などの爪や牙を使ったものが多いが、このように強い動物のものを身につけることによって自分にその強い力が移る、と考えてそれらが用いられたのではないか、と考えられている。

2.ホモ・ルーデンス説
人間というものは機会さえあれば本来「遊ぶ」動物なので、美しいものを見つけたときにはそれを身につけて遊ぶのだ、という説。

3.自己異化説
人間はとにかく人と異なりたいと思っていて、その道具として装身具を身につけることによって差別化を図るのだ、という説。

4.自己同化説
人間はとにかく何かに帰属していたいと願う生き物なので、周りの人と似たようなものを身につけて、あるグループの構成員であることを強調するのだ、という説。

                            参考『ヨーロッパの宝飾芸術』


みなさんはどう思われますか。
私は個人的には、発生は1の護符説、それに異化説が加わってそれらが強い流れとなりながらも、2,3あたりも常にわきにあるようなイメージを何となくもっています。
専門家じゃないので、あくまでイメージでしかないのですが・・・