
ここに、マリーアントワネットが日常生活のわずらわしさ、フランス風の窮屈な礼儀作法に反抗している様子が垣間見える資料があります。
王妃の着付けは礼儀作法の粋でありまして、そのすべてが厳格な作法によって決められておりました。
王妃の女官と化粧係は、侍女頭と二人の侍女の手を借りながら、一緒に王妃の着付けを行ないましたが、女官と化粧係仕事は細かく区別されていました。
化粧係はペチコートを渡し、ドレスを差し出す役割をもっていました。
一方、女官は王妃が手を洗うための水を注ぎ、肌着を渡すのです。
しかし着付けのとき、王家の貴婦人が居あわせた場合は、女官はその貴婦人に肌着を渡す役目を譲ることになっていました。
といっても、王家の貴婦人に直接譲るのではありません。
そんなときには、女官は肌着を侍女頭に渡し、侍女頭がそれを王家の貴婦人に差し出すことになっていました。
彼女たちはみな、それぞれの権限をわきまえ、こうした習慣をきちんと守っていたのです。
ある冬の日のことでした。
王妃はすでに裸になられて、肌着を身につけようとなさっているところでした。
私(カンパン夫人)が肌着を広げて手にしていると、そこに女官が入ってきて、大急ぎで手袋を脱ぎ、肌着をとりあげました。
そのとき扉をたたく音がし、オルレアン公爵夫人が入ってこられました。
公爵夫人は手袋を脱ぎ、肌着をとるために進み出ました。
しかし、女官は肌着を直接公爵夫人に差し出すことはできないので、肌着を私に手渡し、それを私が公爵夫人に渡すことになります。
でもそのとき、ふたたび扉をたたく音がして、今度は王弟の奥様であるプロヴァンス伯爵夫人が入ってこられました。
オルレアン公爵夫人は、肌着を伯爵夫人に差し出しました。
そのあいだずっと、王妃は胸のうえで腕を組みあわせて、寒そうにしておられたのです。
伯爵夫人は王妃のつらそうな様子をご覧になり、手袋もとらないまま肌着を王妃にお渡しして、王妃の髪をといてさしあげました。
王妃はいらだちを隠すためにお笑いになられましたが、そのまえに何度も小さく「不愉快だわ!なんてわずらわしいんでしょう!」とつぶやいておられました。
こうした窮屈な礼儀作法に従わなければならないのは、国王の兄弟姉妹をはじめとする王家の人びとだけでした。(略)
なかでもマリー・アントワネット様は、ヴェルサイユ宮殿内で守るべき多くのしきたりに遭遇しておいででしたが、それを耐えがたく感じていらっしゃったようです。
宮廷用に礼装して王妃が寝室に残り、女官や化粧係と一緒に儀式に参加できたのは、宣誓を行なって役職についている婦人たちだけでしたが、王妃は、そうした儀式をすべて廃止なさいました。
王妃は髪を整えたあとは、寝室に集まっている婦人たちに会釈し、侍女だけをしたがえて婦人服屋のベルタン嬢が待つ小部屋に入られます。
ベルタン嬢は王妃の寝室に入ることを認められていなかったからです。
寝室の置くにあるこの小部屋のなかで、ベルタン嬢はたくさんの新しい衣装を王妃に披露していました。
また王妃は、当時パリで人気にあった美容師をお雇いになっていました。
宮廷のしきたりによると、国王一家のために奉仕する一般のものはみな、民衆のための仕事をしてはならないとされていました。
おそらくそれは、宮廷内の様子や王室のプライベートな事情を庶民の目から隠すためだったのでしょう。
ところが王妃は、技術を磨かなければセンスも衰えてしまうとお考えになり、ご自分のお抱え美容師が宮廷やパリの女性たちの髪を結うことをお望みになっていました。
そのことは、宮廷内の細かな情報が人びとのあいだに流れるだけでなく、しばしばそれらの情報が歪んで伝えられるという結果をもたらしました。
王妃にとってもっとも不愉快なしきたりのひとつは、毎日公衆の面前で夕食をとらなければならないことだったと思います。
ルイ15世の妃であるマリ・レクザンスカ様は、このうんざりするようなしきたりをいつもお守りになっていました。
マリー・アントワネット様も、王太子妃のあいだはこのしきたりにしたがっておいででした。
王太子様も、王室のかたがたもみな、毎日、夕食の様子を公開していたのです。
きちんとした身なりのものならだれでも、宮殿内に入ることをとがめられませんでした。
国王陛下のご家族の食事風景を眺めることは、とくに地方の人びとにとっての楽しみだったらしく、夕食の時間になると、田舎から出てきた者ばかりが宮殿内の階段を行き来していました。
彼らは王太子妃がスープを飲む様子を見たあと、王子たちがゆで肉を食べる様子を見に行き、それから内親王たちがデザートを食べる様子を見るために息を切らせて走るのでした。
古くからのしきたりによれば、公衆の面前に出るときにフランス王妃が身のまわりにおけるのは、女性だけとされていました。
食事の給仕にあたるのも女性でなければならず、男性の召使はつねに王妃から遠ざけられていました。
これは国王が王妃とともに公衆の面前で食事をするときの同じで、食卓のうえに直接置かれるものは、すべて女性が給仕しなければなりませんでした。
(略)
王妃は即位と同時にこのしきたりも廃止なさいました。
さらに王妃は、女官かちが退出したあとでヴェルサイユ宮殿内をお歩きになるとき、宮廷服を着た2人の侍女を従えなければならないという決まりもおやめになりました。
それ以来、王妃はひとりの召使と2人の週者だけをつれて宮殿内を歩かれるようになったのです。
『カンパン夫人の回想録』
これを読むと、マリー・アントワネットは随分と挑戦的なように見えますが、もしかしたら実際は、これらの行動が何を意味しているのかもよくわからないままに変革してしまって、本人としては特に「挑戦」しているつもりすらなかったのではないでしょうか。
フランス宮廷の歴代王妃たちは、貞淑で地味で目立たないタイプの方たちだったらしいので、マリー・アントワネットがいきなりこのような改革をしたというのは、かなり奇抜なことだったと思います。
さらにマリー・アントワネットはオーストリア出身ですから、フランス人からしてみれば「よそ者」の彼女が、フランスの伝統を惜しげもなく切って捨てていくのを見ているのは、不愉快極まりなかったかもしれません。
なんにしても、「知らない」ということはこわいことです・・・。