
25歳のとき
作者は女流画家のヴィジェ・ルブラン
マリー・アントワネットは、どんな日常を過ごしていたのでしょう。
ここに、参考になるものがあります。
マリー・アントワネットが、母マリア・テレジアにあてた手紙です。
御母上様はおやさしくも私を気遣ってくださり、そればかりか、毎日どのように過ごしているかとお尋ねですので、お知らせいたします。
起きるのは10時か9時か9時半で、着替えて朝のお祈りを唱えます。
それから朝食をすませ、叔母様がたのところへ参ります。
普段ですとそこで陛下にお目にかかります。そこには10時半までいます。
昼になると宮内官が呼ばれ、このときからは貴族であれば誰でも私たちのところまで入ってこられます。
私は紅をさし、みんなの見ている前で手を洗います。
それを合図に殿方はすべて退出し、ご夫人たちだけになって、その方たちの前で私は衣服を身につけます。
また、昼にはミサがあります。
陛下(ルイ15世のこと)がヴェルサイユにいらっしゃるときは、私は陛下とごいっしょに、殿下(マリー・アントワネットの夫、のちのルイ16世のこと)と叔母様がたはあとに就いて、礼拝堂に参ります。
いらっしゃらないときは殿下と私だけですが、時刻はいつも同じです。
ミサのあと、みんなの見ているなかで、殿下とごいっしょに午餐をとります。
しかし、二人とも食べるのがとても速いので、1時半には終わります。
そのあと私は殿下のところへ参ります。
殿下に御用がおありのときは、自分のアパルトマンに戻り、読書や書きもの、あるいは手仕事をいたします。
じつは今、国王陛下のために上着を作っているのですが、なかなかはかどりません。
でも、神様のお助けを得て、何とか一年あるいは二年のうちには仕上げたいと思っています。
3時になると、叔母様がたのところに参ります。
この時刻には国王陛下もそこへいらっしゃいます。
4時にはヴェルモン神父様が私のところへ来られます。
毎日5時から、チェンバロもしくは歌を先生について練習いたします。
6時半になると、ほとんど毎日叔母様がたのところへ行きますが、散歩をすることもあります。
念のため申し上げれば、叔母様がたのところへ行くときは、たいていは殿下がいっしょです。
7時から9時まではカード遊びです。
でも、天気がよければ私は散歩に出掛けます。
そのときは、カード遊びは私のところではなく、叔母様がたのところで行われます。
9時に晩餐です。
国王陛下がご不在のときは、叔母様がたが私のところへいらっしゃって晩餐をとります。
しかし陛下がいらっしゃるときは、晩餐のあと私たちが叔母様がたのところへ行き、陛下をお待ちします。
陛下は普通10時45分に来られます。
陛下のおいでになるまで、私は大きなソファーに横になって眠ります。
陛下がヴェルサイユにいらっしゃらないときは、11時に床に就きます。
これが私の一日です。
『マリー・アントワネットとマリア・テレジア秘密の往復書簡』より抜粋
一見優雅な生活に見えますが、着替えや食事のときですら全て公開行事として観衆の中で行われるこの日常生活は、とても窮屈だったようです。
このフランス風の、全ての生活が劇場の中で行なわれるような生活はルイ14世が作り上げたものらしく、その性格はまさにバロックの時代そのもののように思えます。
マリー・アントワネットはこのような王太子妃時代の生活をとても不満に思い、ルイ15世の死後は、自分の思うような生活に変えていくことに心血を注ぐようになります。
また、そうしたことによって周囲の反感を買っていることに気がつくのは、大分後になってからのことでした。
けれど、このようなプライベートの全くない生活が日常なのだとしたら、それに反抗したくなるのもよくわかるような気がしますね。