マリー・アントワネットは、お気に入りのとりまき達だけに囲まれて生活するのが楽しみだったようですが、ルイ15世の生存中、つまり王太子妃時代は、王家と血縁関係のある若い未亡人、ランバル公爵夫人だけが話し相手だったようです。
ランバル公爵夫人
彼女は感受性も豊かで慎み深く、友人としてはとても良い人だったようですが、マリー・アントワネットは次第に彼女のことを平凡で退屈な人として扱いだし、そのうちにはポリニャック伯爵夫人などを重視していくようになっていきます。
そんなランバル公爵夫人ですが、彼女を思い浮かべながらマリー・アントワネットが作詞作曲した曲が、今でも残っています。
これは、マリー・アントワネットが画家にランバル公爵夫人の肖像画を描かせ、それをプライベートルームに飾って眺めながら作った曲。
すてきな肖像画
すてきな肖像画、愛しい女の肖像画
恋の力で手に入れた愛のあかし
ああ、わたしが失った宝をもたらしておくれ
おまえを見るとわたしは息を吹きかえす。
そうだ! わたしが恋するこの顔立ち
優しいまなざし、その物腰や初々しさ
おまえを胸に押しあてると
あの女を抱いている気分になる。
いや、おまえには同じ魅力が感じられない
わたしたちの甘いささやきを黙って聞いていた
残酷な肖像画よ、おまえはわたしに涙を流させる
わたしのひどい言葉を許してくれ
激しい苦しみの叫びに免じて許してくれ
すてきな肖像画、おまえは幸せそのものではないが
幸せの面影をわたしによくもたらしてくれる
マリー=アントワネット王妃(訳:橋口久子)
この肖像画に描かれている人物が女性だとすると、この歌い手は男性なのではないかと思ってしまうくらい親密さを感じさせる歌ですが、実際マリー・アントワネットには同性愛の噂が沢山ささやかれていたようです。
それらは、一部の人しか重視しないことに対する周りの嫉妬の目や、重視されなかった人々による陰謀や悪意、はては革命をあおるための口実の一つだったりなど、あまり信用のおける情報だとは言いがたいですが、もしある程度はそれが本当のことだったとしても、驚くことはないように思います。
大体、女子同士(特に女性としては未成熟の場合)の同化願望とはいつの時代にも存在しています。
それが、時代の環境によって強まったり弱まったりしているだけなのではないでしょうか。
少し昔の話になりますが、日本でいうなら例えば大正時代あたりから流行りだした「エス」という女子同士の関係について、同じようなニュアンスを感じます。
どちらの場合も共通しているのは、異性との接触を制限された環境にあるということで、これらはそのとき有り余った何かを愛したい欲求というのが、近くの同性に向けられた(あるいは向けざるを得なかった)結果なのではないでしょうか。
日本の場合は男女が分けられて教育されていたこと、マリー・アントワネットは夫であるルイ16世が性的に成熟していなかったこと、だからといって王妃という立場上、軽々と浮気ができる環境にはなかった、というようなことが原因としてあげられるように思います。
ちなみにランバル公爵夫人ですが、彼女はフランス革命のとき、王妃の同性愛の相手だったことを理由に、民衆に処刑される、という悲惨な最期をとげます。
それも、首と胴体を切断し、それを槍に刺して高々と掲げながら街を行進、タンプル塔に幽閉されている王妃にわざわざそれを見せにやってくるのです。
悪人とはもちろんとてもこわいものですが、理想に熱狂した群集というものも、とても恐ろしいものです。
ランバル公爵夫人
彼女は感受性も豊かで慎み深く、友人としてはとても良い人だったようですが、マリー・アントワネットは次第に彼女のことを平凡で退屈な人として扱いだし、そのうちにはポリニャック伯爵夫人などを重視していくようになっていきます。
そんなランバル公爵夫人ですが、彼女を思い浮かべながらマリー・アントワネットが作詞作曲した曲が、今でも残っています。
これは、マリー・アントワネットが画家にランバル公爵夫人の肖像画を描かせ、それをプライベートルームに飾って眺めながら作った曲。
すてきな肖像画
すてきな肖像画、愛しい女の肖像画
恋の力で手に入れた愛のあかし
ああ、わたしが失った宝をもたらしておくれ
おまえを見るとわたしは息を吹きかえす。
そうだ! わたしが恋するこの顔立ち
優しいまなざし、その物腰や初々しさ
おまえを胸に押しあてると
あの女を抱いている気分になる。
いや、おまえには同じ魅力が感じられない
わたしたちの甘いささやきを黙って聞いていた
残酷な肖像画よ、おまえはわたしに涙を流させる
わたしのひどい言葉を許してくれ
激しい苦しみの叫びに免じて許してくれ
すてきな肖像画、おまえは幸せそのものではないが
幸せの面影をわたしによくもたらしてくれる
マリー=アントワネット王妃(訳:橋口久子)
この肖像画に描かれている人物が女性だとすると、この歌い手は男性なのではないかと思ってしまうくらい親密さを感じさせる歌ですが、実際マリー・アントワネットには同性愛の噂が沢山ささやかれていたようです。
それらは、一部の人しか重視しないことに対する周りの嫉妬の目や、重視されなかった人々による陰謀や悪意、はては革命をあおるための口実の一つだったりなど、あまり信用のおける情報だとは言いがたいですが、もしある程度はそれが本当のことだったとしても、驚くことはないように思います。
大体、女子同士(特に女性としては未成熟の場合)の同化願望とはいつの時代にも存在しています。
それが、時代の環境によって強まったり弱まったりしているだけなのではないでしょうか。
少し昔の話になりますが、日本でいうなら例えば大正時代あたりから流行りだした「エス」という女子同士の関係について、同じようなニュアンスを感じます。
どちらの場合も共通しているのは、異性との接触を制限された環境にあるということで、これらはそのとき有り余った何かを愛したい欲求というのが、近くの同性に向けられた(あるいは向けざるを得なかった)結果なのではないでしょうか。
日本の場合は男女が分けられて教育されていたこと、マリー・アントワネットは夫であるルイ16世が性的に成熟していなかったこと、だからといって王妃という立場上、軽々と浮気ができる環境にはなかった、というようなことが原因としてあげられるように思います。
ちなみにランバル公爵夫人ですが、彼女はフランス革命のとき、王妃の同性愛の相手だったことを理由に、民衆に処刑される、という悲惨な最期をとげます。
それも、首と胴体を切断し、それを槍に刺して高々と掲げながら街を行進、タンプル塔に幽閉されている王妃にわざわざそれを見せにやってくるのです。
悪人とはもちろんとてもこわいものですが、理想に熱狂した群集というものも、とても恐ろしいものです。