ある種の色っぽさを感じるためには、次のような要素を同時に感じる必要があると私は思います。

1、全てのものに打ち勝つことを想像させるほどの、力強さ
2、その存在そのものを脅かすほどの、危うさ

ところで、西洋建築史専門の佐藤達生氏はその著書の中で、建築が建築であるための最も基本的な機能(役割)について、

1、「囲う」こと
2、「支える」こと

をあげていますが、私はこれらがそれぞれ、私の考える色っぽさの条件にあてはまっているように思えます。


1、「囲う」こと・・・力強さ

囲いを作ることによって人間は、その生存を脅かすようなものから身を守ることができるけれども、私の感じる「囲う」ことによる力強さとは、人間の生活や存在を規定し、世界を秩序づけてくれる中心的な、「吸引力」といっていいものが主な要素だと思っています。
これはどういうことかというと、「囲う」ということは、無限に広がる空間のなかからこれぞという場所を自分の居場所として区切るということで、人はこの自分の居場所というものを中心にして生活の色々なものを行い、世界との関係を築いていくのだと思うのです。
何も規定のない混沌とした場所にただ意味もなく漂っているだけでは、不安で仕方がない。
そんななかで、強く自分を引きつけ形を決定させてくれる何かに、私は途方もない力強さを感じます。


2、「支える」こと・・・危うさ

建物は基本的に重力に抵抗して建っている。
これは一見すると力強さに通じるように感じるけれども、私はむしろ、これに「危うさ」を感じます。
何故かといえば、小さな物であれば普通、それ自身の重さによって生じる力がそれを構成している材料などの強度を下回るので、重力はあまり問題にならない。
物はそれ自体が大きくなればなるほど、自分自身の重さによって崩れる危険性が上がっていくのです。
この、偉大であればあるほど脆さが増すような矛盾に、私は「危うさ」というものを感じます。

このようにそれぞれの項目があてはまることによって、西洋建築はなかなか色っぽいなあ、などど思うのです。