「和洋折衷」というものが、とても好きです。
例えば、安土桃山時代にポルトガルから入ってきたものや、それらがひらがな、カタカナ、漢字表記に変わっているときの感じ。
ボタン、襦袢(じゅばん)、更紗(さらさ)、羅紗(らしゃ)、南瓜(かぼちゃ)、天麩羅(てんぷら)、金平糖(こんぺいとう)、歌留多(かるた)、オルゴール、煙草・・・・・等等。
ほかにも、明治時代の洋館、着物に取り入れられたレースの半襟、フランス人形、キューピー、百貨店、絨毯・・・・・等等。
普通どちらかだけの文化の文脈では現れないようなモノが、突如挿入される感じ、そういったツクリモノめいた、人工的で捻じ曲げられた感じがたまらないのです。
異国のものを突然挿入するのだから、もちらん本来の解釈なんて間違いだらけ、自分の国にとって都合のいい部分しか吸収しようとしない勝手さがあるけれど、むしろグロテスクなその部分に興味が惹かれます。
憧れと、思い込みと、勘違いから作り出された嘘の世界は、その妄想が怪物のように膨らめば膨らむほど、それがどんな一品なのか、つい凝視してみたくなる。
ところで、これと同じような勘違いと憧れを反対方向から見たものがあります。
それはオリエンタリズムやシノワズリ、ジャポニズムなどです。
これらには実は蔑視的な意味合いがあって、根底には、東洋に対して西洋人が獲得した人間の尊厳と自由の精神をいまだもたず、「東洋的専制」が続く非文明的な社会であるという西洋主体の勝手な思い込みが居座っています。
つまり、ヨーロッパの成熟した文化の中で退屈した人々が、異常に情念的でエロティックで野蛮で古代的に停滞していながらも、ここにはない神秘を体験したい、という欲望を満足させるのに、東洋の文化はうってつけだったというわけです。
だけど、東洋人である私にしてみればそんなふうに不愉快なことが含まれてるにもかかわらず、それらのものについうっかり見とれてしまう。
何故かといえば、もちろんできあがった幻想的な世界自体にもすごく興味が湧くけども、それに加えて、できあがった世界と本物とを見比べれば、その裏に渦巻く何かが見えるからです。
例えそれが醜いものであっても、それは何か真実に近いものを現しているような気がする。
私はそれが何かを知りたい。
和柄のステンドグラス
ところで・・・。
「憧れ」と「支配の欲望」の対象。
そう考えると、何やら似たような図式を持つ、他の事柄が思い出されます。
それは男と女の関係です。
歴史的には、女は常に他者であり、後進的で原始的だけど無視できない存在だった。
なぜそう認識せざるを得なかったのか。
・・・なんてことを考えると、やっぱりこれも少し真実に近づくような感じがします。
例えば、安土桃山時代にポルトガルから入ってきたものや、それらがひらがな、カタカナ、漢字表記に変わっているときの感じ。
ボタン、襦袢(じゅばん)、更紗(さらさ)、羅紗(らしゃ)、南瓜(かぼちゃ)、天麩羅(てんぷら)、金平糖(こんぺいとう)、歌留多(かるた)、オルゴール、煙草・・・・・等等。
ほかにも、明治時代の洋館、着物に取り入れられたレースの半襟、フランス人形、キューピー、百貨店、絨毯・・・・・等等。
普通どちらかだけの文化の文脈では現れないようなモノが、突如挿入される感じ、そういったツクリモノめいた、人工的で捻じ曲げられた感じがたまらないのです。
異国のものを突然挿入するのだから、もちらん本来の解釈なんて間違いだらけ、自分の国にとって都合のいい部分しか吸収しようとしない勝手さがあるけれど、むしろグロテスクなその部分に興味が惹かれます。
憧れと、思い込みと、勘違いから作り出された嘘の世界は、その妄想が怪物のように膨らめば膨らむほど、それがどんな一品なのか、つい凝視してみたくなる。
ところで、これと同じような勘違いと憧れを反対方向から見たものがあります。
それはオリエンタリズムやシノワズリ、ジャポニズムなどです。
これらには実は蔑視的な意味合いがあって、根底には、東洋に対して西洋人が獲得した人間の尊厳と自由の精神をいまだもたず、「東洋的専制」が続く非文明的な社会であるという西洋主体の勝手な思い込みが居座っています。
つまり、ヨーロッパの成熟した文化の中で退屈した人々が、異常に情念的でエロティックで野蛮で古代的に停滞していながらも、ここにはない神秘を体験したい、という欲望を満足させるのに、東洋の文化はうってつけだったというわけです。
だけど、東洋人である私にしてみればそんなふうに不愉快なことが含まれてるにもかかわらず、それらのものについうっかり見とれてしまう。
何故かといえば、もちろんできあがった幻想的な世界自体にもすごく興味が湧くけども、それに加えて、できあがった世界と本物とを見比べれば、その裏に渦巻く何かが見えるからです。
例えそれが醜いものであっても、それは何か真実に近いものを現しているような気がする。
私はそれが何かを知りたい。

ところで・・・。
「憧れ」と「支配の欲望」の対象。
そう考えると、何やら似たような図式を持つ、他の事柄が思い出されます。
それは男と女の関係です。
歴史的には、女は常に他者であり、後進的で原始的だけど無視できない存在だった。
なぜそう認識せざるを得なかったのか。
・・・なんてことを考えると、やっぱりこれも少し真実に近づくような感じがします。