石川県民でも、

いや輪島市民でも

どうやら殆どの方が行った事がないみたい。


聞いた方は、皆さん

「行ったことありません」

との事でした。


そこは輪島市の舳倉島。

「へぐら」と読みます。


きっかけは

たまたま観光冊子の片隅の

小さな記事でこの島を見つけたこと。


「ここに行こう」

と閃いてしまった(笑)



舳倉島へは1日1便往復で

フェリーが出てます。



出発は9時、復路は島を15時(夏場)出発です。


まずはフェリー乗り場で

名簿に記入し、チケットを買います。


往復で4600円。



日本海へ出て行くので

海が荒れると簡単に欠航になるそうで

ゲストハウスうめのやさんでも

「欠航続きで三泊していかれた方がいた」

なんてお話も聞きました。



が、この日(4/12)はお天気に恵まれ

欠航の心配はありません。



晴天☀️

と言うか最高気温予想22度!


思わず100均で

サンバイザーを買う😅



フェリー希海に乗り込みます。



綺麗なフェリーです。


地下もあります。



地下と言うか

船底なのですが、

椅子席と横になれるよう

カーペット敷き。



窓はなく、窓に見える木枠には

救命胴衣が保管されています。



かなり揺れるらしいので

船酔いする方は酔い止めを飲んで

横になって寝てしまう、と言う手もあります。



出航前に船内探検。

シェフがのぞいているのは操縦室です。


後方にはクレーンが付いており

荷物を積み込んでいました。



このフェリーが舳倉島への

唯一の輸送方法です。


舳倉島からAmazonにオーダーしても

このフェリーで運ばれる事になります。


実際、ワタクシ達の前の席には

郵便局員さんが座ってはりました。


郵便配達も、そして集荷も

このフェリーです。


9時、出発です。



前だけ見てるとあっという間に水平線。

振り返ると、能登半島がどんどん離れてゆく。


出航して40分くらい。

まだ何とか能登半島が遠くに見えている

くらいの場所に島が現れます。



能登半島の先にある七つの無人島。

通称七ツ島。


そのまんまやんか!

と突っ込まないで下さい(笑)

それぞれにちゃんと島名があるから

通称七ツ島。



ちょうど舳倉島と能登半島の

中間にあります。


因みにこの七ツ島と舳倉島は

2万年前には半島と

地続きだったそうです。


で、揺れると評判のフェリーですが



実際、かなり揺れます。


どのくらい揺れるかと言うと

何にも掴まらずには

立っていられないくらい💧


これは船酔いする方には

ちょっとしんどい揺れ方です💦


出発から1時間半。

舳倉島の港に無事到着しました。



おおー、独特の雰囲気。

いい空気です。



クレーンで積荷を下ろす作業。



そして、島民の方が数人集まってはりました。


皆さん、荷物を受け取りに来られているようです。



この舳倉島には車が2台しかないそうです。


その1台が写真に写っている

輪島市立病院の白い軽ですね。


救急車でもあるのでしょうか。



港にはカモメ。



後からエサをあげるから

待っててね。


港の裏に回ってみると

早くも海女さんと出会う。



ワカメ漁をされているみたいです。

採ってきたものを荷揚げされているのですね。


水質は、言わずもがなで最高。



港を後にし、島を周ってみましょう。



周ると言うと

何か見どころを目指して周るみたいですが

舳倉島には特に観光する場所はありません。


あるのは神社です。



周囲4キロの島にお社だらけ。


そうでないなら渡り鳥で有名なので

バードウォッチング、または釣り。



ワタクシ達には歩く、

と言う手段しかございませんので

舳倉島でもひたすら歩こうと思います。



港の周りは集落です。



どこのおうちでも海女さんを

やっている様子。



少し歩くと小学校がありました。


正確には、小学校跡です。



舳倉島の中心には灯台が建っており

島のどこからでも見れます。



道沿いの名も無き石仏。



ここは神社・・・ではなさそう。



桜が満開です。



道なりにトコトコ、トコトコ。



ニャー🐈



あら、舳倉島のおネコ様✨


可愛い💕

触ってもいい?



お触りはダメらしい(笑)



徐ろに歩き出すおネコ様。



うん?

それは・・・



エサ器かーい!

エサくれってかーい😂


当然だニャーッ



ごめんなさい。

おネコ様のお好みに合いそうなものを

持っていないの。


毎日美味しいお魚を食べてるんでしょ。


ご主人様をお待ち下さい。



洗濯物の代わりに

ワカメが回る舳倉島。



お社が見えて来ました。



伊勢神社。



元々は総氏神が祀られていた場所らしい。


伊勢は伊勢神宮の伊勢。

お伊勢さま信仰は

遠く舳倉島にも伝わってます。



境内の大木は「タブ」の木と言うらしい。



島で唯一の大木。



火山で隆起した土地だと思いますので

土があまり無いんですよね。



北海道の礼文島・利尻島に行った時も

そうでした。

木が育たない。



この辺りは

まだ人が住んでる地域です。


人が住んでいる所に花あり。



海手には弁財天社が浮かんでいます。



この弁財天には

舟以外で渡る方法はありません。



進んでいくと

今度はワンコ🐕‍🦺



クロちゃん、どこから来たの?

(勝手に名前を付ける大阪のおばはん)



不審者をジッと観察(笑)



よしよしするとスリスリしてくれる💓

触らせてくれるいい子。



ずっと港が気になっている様子。


多分、ご主人様が港から帰って来られるのでしょう。



またね、クロちゃん。


少し歩くと「つかさ」と書いたリアカー。



ここは島に二つだけの民宿の一つ。



荷物は車ではなく

リアカーで運ぶんですね。



はっきり言って廃屋もたくさんあります。


民家の跡に花あり。



元々舳倉島は、夏の間だけ

漁師たちが漁に来る島だったらしいのですが

戦後インフラが整って

定住する人が増えたとか。


それが、再び過疎で2010年の段階で

島民は110名ほど。


ただ、ほとんどの方は半島にも家があるらしいし

今でも夏場には漁民が増える

との事なので、

意外と今でも往来の活発な

珍しい島なのかもしれません。



島の北東、住宅がなくなり

舗装路もなくなりました。


三輪自動車が止まってます。



近くに海女さんが漁をしてはりますね。


そしてケルン。



石を積んだ塔のようなものを

「ケルン」と言うらしい。



海上標識や海女さん達の

漁場の目印だ、という事です。



恵比須神社。



夏場、漁のために皆んなで島に渡ることを

「一斉渡島」

と言った。


渡島すると、

まずは皆で所管のお宮に集まり

五升の酒を飲み、

それが済んだら総本社に集まり

やはり五升の酒を飲む。



人が協力し合わないと

いろんな事が難しかった時代のお話です。



この島の北東の景色は、絶景。



島で一番綺麗でした。


ゆっくりしても良かったのですが

なんせ風が強くて。


歩きます。



テクテク、テクテク。



島全体が平坦なのと

大きな木がないので

歩き始めると間もなく

次の目標のお宮が見えます。



観音堂と竜神池です。



竜神池には、竜の言い伝え。



海に近く、潮溜まりのようですが

周囲180mの池です。



案内に無い小宮や祠も

あちらこちらに。



次のお社が見えて来ました。



金毘羅神社。



少し離れて、八坂神社もあるようです。



湾を挟んで、あちらにある祠でしょうか。



何となく、そのまま行けそうじゃね?



などと浅はかに考え

進んでみた。



北側の海岸は・・・ゴミだらけ💥


うーん、輪島でもそうだったんですが

外国のゴミも多いし

清掃が間に合わない感じですねぇ。



そして岩場を進む。



この後、草むらに突入凸


やめときゃいいのに

直ぐに小さな冒険をしたがる。

悪いクセです。


靴とズボンを思いっきり汚しながら

何とか草むら脱出。



ここが八坂神社。



草むらに懲りて

普通の道に戻りました。


その時、空に爆音💥


シェフ「自衛隊のスクランブルだ!」



写真では見えにくいですが

確かに戦闘機らしい機体が

二機並んで北西の方向に飛んで行きました。


スクランブルだったのか、

その辺は不明。


でも確かに領空侵犯の恐れありで

ほぼ毎日スクランブルが

かかっているのは事実なわけで・・・


花のように

静かに咲けないものか。



気を取り直して歩きます。


テクテク、テクテク。



シラスナ遺跡。



ここは5世紀、8世紀、9世紀の

重層遺跡が発見された場所だそうです。



遺跡あとが見れるのかと思っていましたが

見事に草むらでした(笑)


5世紀といえば

古墳時代も終わりの頃。


能登島で見た蝦夷古墳が

後期古墳だったので

通じるものがあります。



海上交通が主流だった頃には

能登半島は海上の要衝。



日本海こそが世界への表玄関だった。

歴史的にはそんな時代の方が

長いんですもんね。



可愛いピンクの祠。

何を祀ってあるのかは不明。



石を集めて積んであります。


ところどころにケルン?祠?



何とも不思議な感じ。



西側の海岸沿いを回って進むと

港が見えてきます。



その手前に総本社、奥津比咩(おくつひめ)神社。



こちらは延喜式内社です。



延喜式が完成されたのが

10世紀なので

軽く千年を超える歴史を

持っている、という事ですね。



狛犬の阿吽。



本殿は古く、賽銭箱は鳥のフンだらけで

ちょっと可愛そう。



〆縄だけは立派に付け替えられています。


信仰を守るって

とても体力が必要です。



神社の横は通り抜けになっていて

先ほど通った道に出られます。



奈良時代には大伴家持が国守として

能登を巡航しており

舳倉島のこの地にも立ち寄って歌を詠み、

それが万葉集にも残っているそうです。



いやー、舳倉島に来て

大伴家持の名前をきくなんて😅



再び港の方向に歩き出します。



この辺りのお家は

漁業で使ったロープは

屋根に干すみたいですね。


また、あちこちに落ちていた

茶色のデカいビーズみたいなものは

何だろう?と思っていたのですが

どうやらこうゆう使い方をするようです。



庭先にあるドラム缶のような物は何だろう?



三輪車に石積み、そしてワカメ。



それぞ舳倉島の日常風景です。


突如、避難路が現れました。



避難路、兼、遊歩道。



ちょうど、この島って高い場所がないよなー

津波が来たらどうするのかなー

と思っていた所だったので

行ってみることに。



打って変わって、浅い森の中。



山桜が満開です。



そして笹の小道。



桜とともに椿。


自生している椿だと思うのですが

藪椿のような一重ではなく

八重咲きです。



めちゃくちゃ美しい。


そして、もうお気付きのように

この島の桜は全て山桜です🌸


ソメイヨシノは見た限り

1本もありません。



ソメイヨシノが創り出される前の

日本の原風景としての

桜を見ているんです、たぶん。


進むと診療所。

港で見かけた車が止まってます。



隣には派出所



派出所が完全に空き家(苦笑)



少し行くと灯台ですが

港の方向に引き返しました。



ここにも山桜が満開。



と思ったら

そこは最初に通った小学校です。



今やこの学舎で勉強しているのは

二宮金次郎さんだけ。


港に帰って来ました。

お疲れ様。



休憩所があるので

そこでお昼ご飯にしましょうか。



アテは昨日おなじみやさんで購入した

おにぎりと鳥の唐揚げ。


そして朝市で買った蕗味噌と山葵菜。



昨日も書きましたが

これがすんごく美味しくて。


蕗味噌、と言うより

フキノトウのディップです。



山葵菜も素材を生かした繊細な味付けで

サイコーに美味しい✨



風が強く、ちょっと寒いねって事で

日向に移動。



もちろんビール飲んでー

ワイン飲んでー、

日本酒飲んでー。



港湾関係者さん達はお若い。



三輪車を使っている方は

たぶん海女さん。



そうこうしている内に

フェリーの出航の時間が迫って来ました。



そろそろ行くか、とシェフ。



はい、こんな事になるだろうと

ちゃんとかっぱえびせんを買っておいたのです✌🏻



カモメ達の反応、はやっ❗️



ヒッチコックの鳥みたいになる。



でも舳倉島のカモメ達は

投げてやらないと食べない。


伊根町のカモメみたいに

手に持った物を曲芸のように

食べたりはしません(笑)



私達が集めたカモメ達を撮る

カメラマンのお兄さん。

そして、それを撮る私(笑)



島の北側でもお会いしましたね☺️

いい写真が撮れたでしょうか。



3時になりました。


再びフェリーに乗り込みます。


入れ違いに

朝方出会ったワンコ。



港までちゃんとご主人様を

迎えに来てました。

賢いねー、可愛いねー💕



さようなら、舳倉島。


来れて良かったよ。



流石にこの島に

また訪れる機会があるかどうかは

分かりません。


でももし訪れるなら

夏にします。


海女さん達が素潜り漁をするのは

7〜9月みたいですから。


以上が『舳倉島に行ってみた』時の記録です。


めっちゃ長くなっちゃいましたが

最後までお付き合い頂き

ありがとうございました。