灘にあるおとめ塚温泉の帰り道。
松林の遊歩道の一角で
おばあちゃん達がランチ会をされてました。
何となくほっこり。
集える仲間がいるって素晴らしい。
さて、神戸三宮へ移動です。
懐かしの三宮センター街。
ワタクシ大学が夙川だったので
大学時代の遊び場は
三宮になる事が多かったのです。
もちろん30年前の話で
大震災の前。
その大震災の時には
既に大阪に引っ越してまして
事なきを得ました。
が、当然神戸方面に知り合いは多く
機会があって
こちら三宮センター街の組合
副会長をされていた
マイスター大学堂の当時の社長さんに
震災のお話を伺ったことがあります。
そしてその真摯なお人柄に感銘をうけ、
たかが25歳くらいの若造が
マイスター大学堂へ行き
眼鏡を作ったのです。
清水の舞台から飛び降りる気持ちで。
お話を伺った中に
「息子がドイツへ職人修業に行く」
「マイスターになるのに、10年かかるだろう」
と言うのがあって
当時、年齢の変わらなかったワタクシは
10年・・・
20代が終わるな・・・
と思った記憶があります。
ワタシには無理。
そうも思いました。
それから26年間、
マイスター大学堂から年に2回
暑中お見舞い状と年賀状が送られて来ています。
お葉書で、現社長が
ドイツから無事帰国された事
トップが交代した事も知っていました。
こちらで作った眼鏡は
10年以上愛用しましたが、
その後お店を初めて
レーシックの手術をし、
眼鏡不要の状態に。
15年ほど眼鏡なしの
楽な生活を送らせていただきましたが
50代になると、もうダメ。
老眼。
再び眼鏡を作る事になったら
また、マイスター大学堂へ行こう。
26年間、そう思っていました。
と言うお話を
初めてお会いした久利将輝氏へしたところ
「資料があるか、探して見ます」と。
そして、出て来たんですよ。
26年前の顧客カルテが。
もう衝撃的!
26年前に書いた自分の名前と
前の結婚の時の住所(笑)
これ、出て来る、ふつう?
大変丁寧に視力、その他を測定していただき
出来た眼鏡は送って頂くことに。
昔は無かった検査室も出来てました。
至る所に絵画。
いやー、眼鏡を作る。
ただこれだけの事に
これほどの感動をさせられるとは。
マイスター大学堂、恐るべしです。
今回作った眼鏡は
たぶん一生物になるでしょう。
いや、大学堂で
毎年眼鏡を作れるくらいの
身分になりたいものです。