コロナ禍のため

ほとんどのイベントやスポーツや舞台が

中止になりました。

 

あっ、あとお祭りも!

 
そうゆうハレの日イベントが無くなると
宣伝広告業も直撃を受けます。
 
昔ワタクシがお世話になった
ちんどん通信社さんもそう。
 
けど、もちろん泥んでなんかいません。
こんな時だからこそ
ちんどんマニアックサロンクラッカー
密を避けて、少人数での開催です。
 

前口上からの、林幸治郎一座登場音譜
 

昨日のお題は
『素朴な質問にお答えします
~幸ちゃんのドーンといってみよう!』
です。
 
こちら↓の年賀状の裏に
なんでも質問を書いてくださいね、との事。
 

私の質問は
「年賀状の写真にもなっている
大須の大道町人祭と
商店街の変遷についてお聞きしたい」
と言うものでした。
 
去年、42回目だった大須大道町人祭り。
ちんどん通信社は、第4回目くらい
1980年代前半から
参加しているそうです。
 
ワタクシがちんどん通信社さんの末席に
ちょこんと座らせていただき
子守りバイトとして連れて行って貰ったのは
1992年です。たぶん。
 
今では商店街もとても綺麗に改装され、
大道町人祭も大規模で、すごく有名になりました。
 

でも、ワタクシが初めて行った頃の大須は
バブルの名残りがバリバリの
景気の良かった日本の中で取り残された
よくある寂れた商店街の一つでした。
 
祭りでは一応、正式な出演者は
登場ステージと時間が決められていましたが、
それとは別に
全国からパフォーマー(と称する人達)がやって来る。
そして、その辺で勝手に何かやっている。
 
それを当時の大須は受け入れていました。
 
大須、すげードンッと思いました。
 
混沌とした世界。
お前は誰だ?魑魅魍魎か?
 
そして一番最初の最初、
こうゆうお祭りをしようと言うきっかけに
寺山修司率いる天井桟敷と
ヤの付く自由業の方々が絡んでいた爆弾
と言う新情報。
 
うーん、書き出すと止まらない。
 
面白過ぎるけど止めておきます。
これ以上マニアックなお話は(笑)
 
抱っこしてはるのは
林社長のお孫さん。
 
 
ワタクシが子守りをしていたのは
これくらい小さかった頃の
このお孫さんのお母さんです。
 
時間が流れましたねぇ。
 
そして、こんなにしっかり年を取ったのに
今回の事では
弁護士さんをご紹介いただくなど
大変ご心配をおかけしましたあせるトホホ
 

昨日お邪魔したのは
ちゃんとお礼とご挨拶をするためです。
 
差し入れは、シェフが
どどーんと作ってくれた焼きそば。
 
 
こんな事しか出来なくて
申し訳ないです。
 
テーブルには寺田屋の名残り。
 

もう寺田屋は無くて、元寺田屋です。
 
今月の後半から
『ちんどんマニアックサロン』
は道頓堀に場所を移動して行われるそうです。
 

ご興味のある方は
是非ちんどん通信社HPで
今後の確認を。

https://tozaiya.co.jp/

 

昨日の林社長の名言。

「人間80にもなると、

自分の事では悩まなくなるらしいよ。

だいたいの人わね。」

 

(笑)

その‘だいたいの人’の方に入りたい。

その様に生きていきたいと思います。