一昨日の夜のビデオ鑑賞日記。


『身毒丸』 演出・蜷川幸雄 出演・武田真治、白石加代子

1995年 初演


花沢花子の自由自在でごめんちゃい

前回はいつだったか、藤原竜也バージョンをビデオでみて

ブログにも書いたと思います。


‘身毒丸といえば藤原竜也’

これはもう、演劇ファンなら当たり前の事なんですが、

何かめっちゃ気になったんですよね、

初演の武田真治バージョンが。


だって、蜷川幸雄は武田真治を見て

身毒丸をやろうと思ったんですから。


作家は寺山修司って事になってますが

岸田理生との共作で、戯曲は岸田理生が書いてます。


観ての感想は

「ああ、本当にこの作品は武田真治のものなんだ」


花沢花子の自由自在でごめんちゃい

とにかく、エロくて暗くて怪しいのです、藤原竜也に比べて。


武田真治と藤原竜也は10歳違いですが、

単に年齢の違いじゃなくて

役者の持つ本質の違いです。


武田真治って強烈に自我を持ってる役者さんなんでしょう。

だから身毒丸を演じ続ける事ができなかった。


1997年に予定されていたロンドン公演。

これを武田真治は断るわけです。

蜷川幸雄をふるんですよ、世界の蜷川を。


蜷川幸雄はその時の事を

去っていった人に対しての憎しみと愛情を

 自分の中で掻き立てながら抑えてるわけ。

 そういうものって、実際は去っていった恋人のように思ってる」

と表現してます。


めっちゃ武田真治を気に入ってたことがわかります。


でも、ふられたと。

それ以上のものを作らなきゃいけないと。


で、オーディションをやって5000人以上の中から

選ばれたのが、当時14歳

演劇経験なしの藤原竜也だったんですね。


藤原竜也はある意味天才。

彼を見てると、地上から3センチ浮いてるって思うもん。


いい意味で自分がない、ように感じさせる。

天才と評される役者ってそうゆうもんです。


昔、鴻上尚二がゆってたけど

「本当にのってる時の役者は、

 何を考えているのかわからない」


その通りやと思う。

地上から足が浮いてるような、

マリオネットのように吊るされているような、

すでに人間でないような。

強烈な存在感だけがそこにあるような。


藤原竜也はそんな役者です。

でも武田真治は違った。


「舞台の上では生きられても、

 広く社会の上では生きられる精神状態ではなくなっちゃった

 特に「身毒丸」という、マザーファッカーな舞台で。

 ・・・60回公演でしたからね。あっという間に、

 本当の自分よりそっちが強くなっちゃう。

 ・・・ほんとの自分なんかどんどんなくなっていって。

 ・・・客観視する瞬間がなかったんです。

 ・・・あっという間に社会で機能しない、おかしな生き物のできあがりですよね」


花沢花子の自由自在でごめんちゃい

武田真治は怖がった。

なんて人間的なんでしょう。

そりゃ怖いわな、

白石加代子相手に近親相姦ですよ(苦笑)


藤原竜也は怖くなかった、己がないから。


武田真治バージョンの時の方が

白石加代子が色っぽいです。

でも人間の女に見えます。


ああ、生で観たかった、この舞台。。。。


朝から濃い濃い鑑賞日記でございました。

出勤します。