18歳で京都に出て、4年後、サラリーマンとなった。
それから京都・彦根・大阪・東京で勤務。再び京都となり、60歳で定年を迎えた。
田植え・稲刈り・脱穀作業・田螺とりなどの手伝い。
山の神さんという子供の神社の夜祭。
(一晩中火焚きが許され、上・下に分かれての戦いと捕虜は大きい木の幹に繰りつけることも許された。)
お寺の境内での子供相撲大会。 「火の用心」 ・・・・・など。
今は無くなっただろう。
京都丹波地方の田舎の長男だったが、次男があとを継いだ。
すっかり疎遠にしていうちになり私ももう80余歳になった。
父は教職を離れてから市の要職を2期務めた後、油絵を再開し個展を開くなど楽しみ、また、短歌のクラブで作歌を嗜んだ。
父は、60歳で連れ合い・その後、最愛の長女を亡くするなど、寂しい思いをしただろうが、明治の男、私にその言葉などみじんも掛けなかった。再婚を望んだが兄妹や地域の要職があだとなり実現しなかった。寂しい老後だったろう。
父の残した句
蓋とれば穀象嘉雲は音たてず五等旭日空の柩這う
狐なく雪の夜そふがいし頃の鳴き声炉端に孫たちと聞く
思い出は遥かになりて行く川のはたての空に顕つまぼろし
光ふる雨後の山寺あじさいの彩あふれたる庭のなまめき
白らみきし枕辺遠く蜩のなきて侘しもむすめは街に病む
(短歌同好会 「短歌志賀の里」抜粋)
色紙より
いつも律儀で 控えめな みいちゃんだった
見てくれている・・・・かな



