イ~~~~~~ヤ~~~~~~~~!
東北が熱いらしい。
日本三景で魅せた、「東北ムトー化計画」が、小さな渦をうねらせてるようだ。
子どもは正直な生き物だ!
面白いものにはすぐに反応し、飽きればすぐに放り投げる。
つまらない顔をして、ドッジをしてる子どもを見かけると、なんだかとても悲しくなる。
好きで続けているはずのドッジなのに、どうしてそんなにつまらない顔をするのか?
ドッジをするだけでなく、たった5分をどう楽しむか?
全てはそこに尽きるだろう。
強いチームが勝つのではなく、勝ったチームが強く
もっと言えば、全国大会なんて「ドッジ好き選手権試合」である。
王者板橋は、実に楽しそうに、実に笑顔を振舞いて、誰よりもドッジを楽しんでいた結果、ドッジの女神が光臨し、そっとその頭上に「栄冠」を降り注いだのだ。
負けたから、勝つための練習をするよりも、負けたから、「楽しい」ドッジに目覚めなければ、ドッジなんてただただ野蛮なスポーツで終わってしまう。
コートとスタンドが一体となった風景
それを見ているだけで、なんだか心がときめいて、楽しくて仕方がない。
そんな気持ちを味わいたいと思わないのか?
勝負事は当然、勝ち負けを競う、大切な物差しであるに違いない。
でも、そんな事では滅びてしまう。
プロレスがテレビと共に普及したのは、戦いの中に「楽しさ」が溢れていたからだ。
大袈裟なパフォーマンスは、分っていても手に汗握る。
ドッジはどこまでいっても「プロレス」である。
楽しく、明るく、激しいプロレス
ジャイアント馬場さんは、遠くを見つめてそう言った。
だからドッジも同じように、「楽しく、明るく、激しいドッジ」
これをテーマに突き進めばいいのだ。
4年生の笑顔が眩しい。
こんな綺麗なコートの上で、好きなドッジが出来るなら、誰もが笑顔になるはずだ。
そんな笑顔を奪い取るのは、決まってエゴイストな大人なのだ。
夏は一瞬のうちに通り過ぎていく。
6年生の夏はもう帰って来ない。
馬鹿な大人は「来年また頑張ろう」と、平気な顔で、いい加減な事を言う。
ドッジの魅力は短い歴史と、自由な発想の中で20年以上の歴史を刻んで来た。
他のスポーツに無い、自由な戦いがあるからこそ、メキシコのプロレス「ルチャリブレ」と同じような自由な戦いがあるのに、どうして自分だけのクソ「硬い」考え方を押し付けるのか?
毎年の傾向で、優勝したチームのスタイルが「良」とされる。
でも、板橋のドッジは、板橋だけのものであり、決して真似の出来るモノではない。
スタイルを貫く中で、悩み苦しむ日々があったからこそ、栄冠に手が届いたのだ。
真似をするよりも、気になるのなら門を叩き、自チームとの差を確認すればいい。
全ては真似から始めても、己のスタイルを作らなければ、決して何も始まらない。
大きな者を負かす事が出来るドッジボール
準優勝の高須ドラゴンキッズがそれを証明した。
小さき者の楽園
それがドッジボールである。
今一度、ドッジボールを見直す時期です。
舞洲を埋め尽くした子ども達が、「イ~~~ヤ~~~~」と盛り上がれば、こんなに素敵な事は無いだろう。
それは「ドッジLOVE」ポーズじゃなくても構わない。
大切なのは、やらされているのではなく、「楽しい」と感じて動くことだ。
廊下ですれ違う子ども達が、ニッコリ笑顔で「ドッジLOVE」
腐った大人には見えない、裸の王様の素敵な笑顔
子どもも大人も恥ずかしがらずに、日本をムトーにしてしまえ!
宇宙の彼方から、ウルトラの戦士も地球に向けて・・・
「イ~~~~~~~ヤ~~~~~~~~~~!!」
写真提供 ドッジ者