「こんなはずじゃなかった」…
我が家が中学受験を決めた理由は、当時の「ゆとり教育」に対する不安と公立小学校、とりわけ小学校の先生に対する不信と失望、幻滅は今でも消えることはありません。
極端ですが、小学校の教科書を見て「公立学校の学習だけで東大へ行けるのだろうか」と率直に思いました。
なにも東大を目指している訳でも「高学歴」に拘っている訳でもありません。
仮に「弁護士になりたい」「建築士になりたい」と言った時でも、公立学校の学習だけでなれるのだろうか🤔
当時まだ10歳にも満たない子供にそんな期待はありません。
ただただ、
健康に元気に育って欲しい。
将来は素敵な伴侶を得て、ご飯はお腹いっぱい食べられればいい、そんな気持ちでした。
と言っても、年齢が上がるにつれて子供にも夢ができ、やってみたいこと、欲しい物が増え、どんどん
希望が膨らんでいきます😮💨
そして親は子供がそれを手に入れる術を逆算して「今すべきこと」を見極めていきます。
(時に身の丈を越えて親子共々共倒れ…なんてことも耳にしますよね😓)
子供はオギャーと生まれた瞬間、もう「お腹の中にいた、私のもの」ではなくなり、神様からの「預り物」、すなわち神様(社会)に返すべき大切な「預り物」と考えていたので(そう考えなくてはいけないと、自分に言い聞かせていました💦)
五体満足で生まれた以上、その
義務を、役割を果たしてもらわなければいけません。
そのための選択肢、その道具を出来るだけ多く持たせ、送り出すことが親となった義務だと考えていました。
ですから、話は変わりますが「親の面倒を子供に見させてはダメ」子供は
無条件で社会へ送り出し、自立させ私達の老後は「自分達で何とかするもの」と心に決め、自分の元に戻ってこない子供達に「親」として出来る限りの愛情と教育を与えることを夫と共に心に刻みました。
「教育に関しては親にすべて与えてもらった。子供達にも同じように、我々の生活が先細りしたとしても精一杯与えたい」と夫は言っていました。
(きれい事を言っても、先細りしたらひょっとして子供達に迷惑をかけるかもしれないので無理よ!私はほどほどにと思っていました🤫)
さて、我が家の学区の中学校はもう何年も前の週刊誌に「通わせたい公立中学校」として上位にランキングされたこともあり、ビックリするほどの
土地価格の上昇を果たしました🤪
もともと地山だった土地の開発時期と重なったこともありましたが…🤭
そして禁止されていた越境入学をさせるため、そこそこ区画の大きい宅地にアパートがたくさん出来、それはそれで
別の問題が生じました。
そりゃそうですよね😮💨
人気の公立中学へ入学したからとて、本人の努力、親のサポートなくしてはどうしようもありませんから。
それでも越境してでもその学区に住みたいというのは、やはりそれなりに教育意識の高いご家庭であったり、教育意識の高いご家庭の「お子さん」と友達になれたら
「安心」だという思いも大いにあったのだと思います。
そういう意味では、ここに住居を構えたことに不安はありませんでした。
しかし、実際はこの学区に通わす親の思いとは関係なく「公立の先生」は志があろうとなかろうと
赴任してきます。
公立学校のシステムはこの学区も隣町の学区も変わりませんし、先生の質も
「個人」の力量により差がありますし、どれだけ
高い志があったとしても
公立の学校ではそれを発揮することは難しいように見てとれました。
(公立学校のシステム、教育委員会に従わなければいけません)
そして昨今問題視されている
教師による様々な犯罪まがいの行為も、何があっても「権利」が守られ、
クビにならない公務員教師の元で学ぶより
「株式会社 ザ 私立学校」
で問題行動を起こした教師を「クビにできる」環境の学校への進学を決めたのです。
続きはまた書かせてください