ちょっと、性格の悪い女になって、書いてみる。

 どんな会社にも、大きく、あるカテゴリに分けられるタイプがいると思う。まずは女性の場合、


・女らしさという、美徳の部分を捨てて生きる、殆ど男性エリートと同列の超キャリア(でも、私の周りで出会ったこと、ないけど)(テレビドラマの中だけってこともないよねぇ)


・そこそこ中庸に、使い分け、女の利点を享受して上手に生きている普通にキャリア(自分はこのタイプでいたいと常に思っていたけど、どうかなぁ)


・キャリアでいたいように言うくせに女であることの不利な面を強調しつつのそれに逃げ責任を果たさず、女である利点を使っている(もっとも嫌いなタイプだけど、多分、結構多い)


・女の子といわれて、何も考えず、ただ、会社に時間拘束されて給料もらっているだけ(女性就労者の大多数)


仕事をがんばる私にとって、二つ目の存在はライバルだけど、ビジネス上の存在だから、仕方ないと受け入れられる。でも、厄介なのが3つ目のタイプ。4つ目のタイプは、私にとっては、どうでもいい存在だし、何も努力して得たスキルもないから、無関係の存在。別に脅威にもならない。

 その3つ目のタイプが往々にして私を悩ます。同性が足を引っ張る、なんていうのもこのタイプだ。たいした努力もしてないのに、イロイロ捨てて努力して這い上がった私たちの立場を蹴落とそうとする。こっちは、はなから同列にいるなんて思ってないのに勝手にライバル心燃やして挙句に、どうでもいい仕事を「女だから」と押し付けてくる。

  最初に入った会社でのことだ。設計として入社して、しばらくしてそれなりに任される仕事をするようになり、給料もアップ。ところが、事務の女性から「お茶くみしろ」「男性より早く出社して掃除しろ」「女の子の食事会に出ろ」などなど、言ってくる。上司は「夜遅くまで仕事してるから、一般の社員と同じ時間の出社でいい」や「現場に出ることも多いし打合せもしているからお茶くみは出来ないだろ」と、言ってくれる。すると、今度はいじめられる。20代前半だったあの頃は辛かった。だけど、敵は女だったことは間違いない。まぁ、今にして思えば、「設計という専門職なの、私は」という自意識過剰な鼻持ちならない女だったのだろう。まして、当時、設計する女なんて少なかったから、上司や先輩の男たちが親切にしてくれたし。だから、同性に嫌われるのも無理はないかも。

  こんな調子で、ずーーっと仕事していた。何回かの転職でも、だいたい、同じようなケースに出会う。年とともに「バカ」と付き合うコツは身に着けたから、それなりにうまくやっていけるようになった分、女の敵は少なくなったけど。もっとも、この歳になっても結婚もせず、仕事している私をある意味、かわいそう、なんて、思って見られてて、同情されてるだけだったりしてね。


  だけど、先のような存在の女たちを私はただの働き蜂と思っている。だって、こういえるようになるまで、私は相当がんばった。バブルの狂乱の仕事の洪水の時期に、いくつものプロジェクトに携わり、その時期に1級まで、建築の資格、取った。その間、何度、過労と胃潰瘍繰り返して病院に運ばれたか。そこいらの男よりはるかに働いた。今の会社でも、偉い人たちを前に自分の意見を言い、仕事がやれるのも、それだけの経験の上に成り立った自信だと信じている。

おかげで、バブル崩壊後、マンションも買えたし、あと数年でそのローンも終わるまでになった。決して、潤っている経済状況ではないにせよ、このまま定年迎えるまで、なんていわなくてもいい時期にリタイヤして生きていけるだけのものは手に入れた。それもこれも、失ったものへの代償だ。女として「若く綺麗でいた時期」に、100パーセントそれを享受できなかった。何度かの結婚のタイミングも逃した。でも、仕事に穴も開けず、やってきたから、今の私があると思いたい。・・・思わなきゃ、むなしいし。

  それなりに、「女でいること」も楽しんできたし。

   春になると、失った「惜しいもの」を思い出す。トラウマが沢山。さてさて、今の会社でどこまでやって行けるか。もう少し、がんばってみなくちゃいけません。