私ね、知ったかぶりの女王だったのです


音楽のこと
映画のこと
心理学のこと

自分的に「イケてたい」分野の話だと
どうにもこうにも
「知らない」
が言えなかった
苦しくなるのわかってるのに、
自分を大きく見せたくなる


同じように
得意っぽいことを頼まれると
(私の場合だとOA関連、特にエクセル)
「できない」
が言えなくて
よく仕事抱え込んでた
ネット調べたり、本買ったりしてまで
なんとかギリギリで仕上げてた


あと、「お前はどう思う?」
って聞かれたときに
「わからない」
って答えるのは
卑怯者のすることだと思ってました
「ソレ言ったら身も蓋もないがな」
と思ってた
打てば響くように答えるのが理想!
と思ってた


---
意気揚々と
「できる」自分
「わかる」自分
でいたかった

常に相手の期待に応えたかった

内心はドッキドキで、
不安でいっぱいなんだけど、
それがバレたら終わりだと思ってた


だって、いまさら

「わからない」
「できない」

なんて言ったら


「え?そんなこともできないの?!」
「そんなことも分からないの?!」

って呆れられて、バカにされて、
だれも私を見てくれなくなる
と、思ってたから。


だから必死で
できるよ!
わかるよ!
って、アピールしてた


だってね、、、

何度言っても
言う通りにできないアイツは、
何度説明してもわからないアイツは、
親から見放されてたから

いっつも「アイツはダメだ」
って言われてたから


私はそう言われないように、

私はあなたたちの喜ぶように振る舞えるよ
一度言われればすぐわかるよ

って、言えるように
いつも緊張して、
親の要望を見落とさないように
気を張って、頑張ってた


---
でも、その一方で
間違えるんじゃないか
期待に応えられないんじゃないか
と、常に不安でいっぱいだった



これが、大人になってからも常に、

「これで合ってる?」
「間違ってない?」
「大丈夫かな?」

不安で仕方がない自分のルーツだったんだ、と気づきました


友達とのふとした会話の中で、
子供の習い事を決めるときにも、
家での振る舞い一つとっても、

常に、常に、常に、

「これで合ってるかな?」
「場違いじゃないかな?」
「空気読み違えてないかな?」

って無意識のうちに答え探して
それに合わせて行動してたのは、
つまりは、
親の顔色を未だに伺ってた
ってことだった


そりゃあ苦しいよね
だってさ、
そもそも
出来ないことは出来ないし
分からないものは分からないんだもん

それを無理やり
「できる」「わかる」フリするんだから
苦しいに決まってる
不安に決まってる

(ってか、そもそも「相手の期待」って奴自体、アヤシイよね。妄想だよね)

判断軸が
自分じゃなくて親(他人)にあるから、
正解・不正解の判断も他人に委ねられてる



自分では何も決められない


自分のことそんな人だと思ってたんだなぁ


でも本当は
「自分にとっての」
正解・不正解は
自分で決めていい

それが他の人から見たら
間違いだったとしても
その結果を負うのも自分

自分で決めたことだから
人のせいにせず受け止められる

それが自分の人生を生きる
ってこと、だよね?



そう思ったら
知ったかぶり
できるフリ
わかるフリ
がだんだんバカらしくなってきた

まだやっちゃうときもあるけど
気付いて外していければ
それでオッケーオッケー


「知ってる、できる、わかる」の鎧を外して
ゆるゆるにいこ〜♡