三湖伝説1「十和田湖の八郎太郎」と、思春期の心身の変化 | 花緒no心理学ブログ

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ものの見方転換アドバイザー、心理カウンセラー花緒の、昔話分析
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こんにちは!ものの見方転換アドバイザー・花緒です!
今日もご覧くださいまして、ありがとうございます(*^^*)
 
今日は東北、青森県と秋田県にまたがる「十和田湖」に伝わる伝説「三湖伝説」をご紹介します。本来はこの名の通り、十和田湖、八郎潟、田沢湖という3つの湖にそれぞれ住む神のお話で、それぞれ伝説があって興味深いので、数回にわたってご紹介していこうと思います。
 
そんなわけで、まずご紹介するのは十和田湖に住む「八郎太郎」の物語です。
 

ざっくりストーリー
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昔、鹿角郡の村に八郎太郎という名の若者がおりました。

八郎太郎は寒風山(かんぷうざん)に住む龍と村の娘との間にできた子でしたが、生まれるときそれはそれは難産で、母親は命を落とし、祖父母に育てられました。
 
八郎太郎は村の仲間たちとともにマタギをして暮らしていました。マタギ仲間の間では人のものを奪ってはならないという掟があったのですが、ある日仲間とイワナ捕りをしたときに、つい仲間の分のイワナまで食べてしまいました。
 
すると、突然八郎太郎は激しい喉の渇きを感じました。そばを流れていた川にとびついてガブガブと水を飲みましたが、喉の渇きはまったく癒えず、33夜にも渡って水を飲み続けます。
 
そうしてふと気が付くと、八郎太郎の体は33尺の龍に変わっていました。己の姿を見た八郎太郎は、仲間を裏切った罪を受け止め、十和田山の山頂に湖を作って、そこに住むようになりました。それが現在の十和田湖だということです。
 
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おおぅ、なんとまたスゴイ展開(苦笑)

たしかに仲間の分の魚を食べちゃったのはいけないことですが、それの報いの大きさはあまりに理不尽な気がしません?(^^;
 
このお話いわゆる自然(この場合大きな湖)に対する畏怖の念からできたお話なので、そこに何らかの「教訓」は含まれないと思われます。
 
興味深いのは、八郎太郎がそもそも人間と龍の間にできた、「妖怪」の一種だったということです。そもそも、「龍」の血が入っていたわけで、もしかするとイワナなんか食べなくてもいつかは「龍」に変化する運命だったのかもしれません。
 
では 「イワナ」が現しているものとは、なんだったのでしょうか?

わたしは、これは「人間らしさ」だったと思うのです。
 
八郎太郎はそもそも半分が龍、半分が人間でした。ですが人間として育てられ、人間の世界に溶け込んで生きてきました。
 
一方、妖怪(または自然神)である龍という生き物は、そもそも人間のしきたりや決まり事に縛られることはありません。
 
八郎太郎がマタギ仲間と交わした「掟」は、彼にとってはただの決まり事ではなく、「人間として生きるための境界線」だったのではないかと思うのです。
 
その掟を破ることは、彼にとって「人間であること」を捨てる行為だった。境界線を越えたことで、心も体も「龍」に変化してしまったのです。
 

では、心理学的に見た場合はどうでしょうか。
 
龍は10代の心と体の大きな変化を現します。性的な目覚めによる心と体の変化だけではなく、いわゆる中二病的な根拠のない自信や世界観の形成なども含まれます。
 
またイワナ(魚)は男性自身を、魚を食べる行為は心の成長を現します。

要するに八郎太郎は思春期だったわけですねw
そう見るとなんかほほえましく感じますww
 
ただ、掟を破るという行為については、心身の不調を意味するので、これもまた思春期における急成長に心がついていけないことで、心身のバランスが多少崩れている状態を表しているものと読めます。
 
 
やっぱり中二病かっ(苦笑)
 
 
そのあと龍に変化したのは、そういった危うい変化期を経て「大人になった」ということなのでしょう。龍は山頂に湖を作り(=自分の生活拠点を確立させ)、そこに住む(=腰を据えて生活する)ことを決めました。大人として立派に成長したといえます。
 
つまり八郎太郎の伝説は、心理学的に読むとごく一般的な人間の成長過程を現していると思われます。興味深いですね~!
 

子供のころって、「大人はズルくて嫌いだ」とか思いませんでした?
でも誰でも例外なく、大人になるんですよね。いやでも。
 
子供のころは「大人」と「子供」との間に境界線がありました。ですが実際に大人になると、そこに感じていた境界線なんて実にあいまいで、なんならそんなものなかったかのようにさえ感じます。
 
成長するってそういうことなのでしょうけれど、中には子供のころに感じていた「おとなへの不信感」が心の奥底に残ったままになっていることがあります。なぜかわからないけど相手を信用できなかったり、意味不明に嫌悪感を感じたり疑ったり。こういう場合は、子供のころ感じていた気持ちが「思い込み」となって残っていることが原因な場合もあります。
 
 
わたしが心理学を学んで一番興味深かったのは、そこでした。

人は様々な経験をして大人になっていきます。でも、その心の奥底には、「子供のころの自分」がそのままで存在します。いわゆる潜在意識として、残り続けるんです。
 
ヒプノセラピー(催眠療法)では、年齢退行という「過去の自分に戻る」療法があります。催眠状態に入ることで潜在意識の中に深く潜っていき、小さいころの自分に向き合う、心のタイムスリップです。
 
子供のころには気づかなかったけど、大人になった今ならわかることってありますよね。そのうえで子供のころの自分を受け入れて、理解してあげる。そうすると、それまでこうだと思い込んでいたことが変化して、気持ちが楽になるんです。
 
つくづく、人の心ってすごいと思う今日このごろw
 

さて。
 
 
八郎太郎はこのあと、田沢湖の神様に恋をします。

八郎潟にの神様と恋のライバルになり、ひと悶着あります。
神様でも恋は思ったようにいかないのですね(^^;
 
そのお話はまた、次回に(*^^*)