旧宮家の、時の坊は、第二次世界大戦敗戦日本の玉音放送で、昭和天皇の代役を務める為、日夜発声練習に明け暮れていた。

 又、子供の頃以来の、瓜を食べ始め、
男の子で小柄ではあるが、

体型は、瓜を食べ始めると直ぐ女性化し始め、玉音放送の当時としては、珍しい世界同時周波数のラジオ玉音放送に、昭和天皇代行で臨んだ。


 時の坊の玉音放送は、悲しく儚く切なく日本人の心を揺さぶり、日本人の大和魂しいに深く落ち

日本人に第二次世界大戦敗戦の義を気付かせた。


車、自動車で、皇居玉音放送の間迄時の坊を運んだのは、息子の不空三蔵時の、壱である。



二人で、皇居玉音放送の間に、入り、

日本人全員に第二次世界大戦敗戦を告げる玉音放送を

すると、腰がストンと落ちて、その間から出られなくなった。


余りの動揺と疲労で、腰が抜け、

その場に座り込み、

人の助けを頼んだ。



誰も来ず、玉音放送の間はシーンと静まり返り、

玉音放送のスイッチを、オンからオフにして、手がもぎ取られる感覚で、息子と二人そこに蹲った。



玉音放送の操作の仕方は、練習で、義兄弟の東条内閣からたんと教わった。



息子と二人で、朝早く玉音放送の間に忍び込むように入り込み、配線を整理して

朝8時の玉音放送に間に合った。



録音なのだろうか、悲しく切ない

第二次世界大戦敗戦を告げる玉音放送が、ラジオから響き、時の坊と不空三蔵時の壱は、第二次世界大戦の仕事は全て終わったと、

荷物を、風呂敷に一纏めにして、出ようとしたが出られない。


鍵はかかっていない。

「さあて、」と辺りを見回すと

大きな窓から、涙し嗚咽する群衆が見え、時の坊と不空三蔵時の壱も悲しく一緒に泣いた。


しかしひと通り泣き、「さあ、帰ろう。」と言う段階になって、腰が抜けて、第二次世界大戦敗戦のショックと言うより極度の、疲労で、足が動かなくなりだるい。

更に、耳がビンビンして、

鳥肌が、立ち、漸く動けるようになったのには、夕刻遅くだった。


しかし足が動かない。極度の疲労と、汗と、ガランガランと扇風機の音が虚しく天井から響く。



近衛内閣の時、近衛首相内閣が、玉音放送準備に腹を立て、サーベルで、壊して、又修理したと言う扇風機の傷が痛々しかった。


時の坊は、不空三蔵時の壱と、共に部屋を出ようとしたが、時の坊だけが、風呂敷がふつかり出れない。


風呂敷の中身は、時の坊の弁当や、兄弟の弁当に、使う食器や、無いと困る訳では無いの、だが、


玉音放送の後では、自分の食器をその場に放置するのは忍びず

全て自分で片付け風呂敷に、入れた。

兄弟の弁当食器も玉音放送の間に置いとくのも嫌だ。



唯、その、風呂敷が、原因で、部屋から出れない気がする。


時の坊は、手首を弁当を食べる短剣で、切って、その流す血の量だけ

外へ出れた。


先に待っていた不空三蔵時の壱と合流し、傷の手当てをしてもらったが、


短剣で切った傷の手当てをすると

又、玉音放送の間へ引き摺り込まれそうになる。



思い切って目を瞑って、皇居玉音放送の間を後にした。



後から、血を流している、時の坊を見て、別の弟が、

「新種の美容整形では無いの、だろうか。」

と疑い、東京帝国大学治療部へ搬送した。

診断は、

「美容整形では無く、清涼殿玉音放送の間を出れずに多少の流血を覚悟した自決である。」

第二次世界大戦敗戦時にアッパレと

勲一等賞がアメリカ合衆国総司令部マッカーサー元帥から授与された。



付記にイギリス国王イギリスアメリカ領事グアム愛心撹羅溥儀明治天皇と記され、

盛大な、アメリカ合衆国主催の催し物には先ず参加が呼びかけられた。


息子の不空三蔵時の壱に、聞いた所、

アメリカシカゴでは名誉市民になっていると言う。



何とも有り難いお話しです。




😧😧😧










マグマ 油田
 h21.アメリカは、爆弾を作る為に、世界海外各地の山を壊し、自分の領土から、鉄山不在、鉄不在で
マグマが吹き出し、住めなくなった。
人口ゼロ。R6.


第二次世界大戦前の、世界配置地図になっている。
第二次世界大戦前の、アメリカ合衆国、イギリス不在の世界地図になってきている。


フランス政府は、アメリカ合衆国が突然亡くなったのは
霊現象で、分からないと。 h19.


サルコジ大統領   シューマッハ
  アメリカ合衆国が、暑いから、
国際連合国に、アメリカ渡航禁止を申請。
アメリカ途絶宣言。 h12.