邦男君は、恵まれた体格を活かして、国立大学体育学部を受験したが、脆く失墜。
落胆の中、他所のお寺の丁稚奉公に行き、そこで知り合った、トロイのヘレンさんのような美女と恋仲に落ちたが、
トロイのヘレンさんのような美女が女子高生の為、親の反対に会い、
それも愛でたく撃沈。
失墜の中、故郷の古寺に帰ると、そのトロイのヘレンさんの妹が、駆け寄り、
「私達には、もう一人社会人の姉がいます。会ってくれませんか。」と言って、
その姉をお寺の古寺観音に通わせ、
邦男君は、あまり話さない固い女子校出身の姉が気に入らなかったが、家族が勧めるので、婚礼を挙げ、嫁にもらった。
程無く、子供に、恵まれたが、
病弱な女の子を生み、夫婦は、病院通いと薬代で、
古寺の提灯盛りをし
生業を立て、
高野山金剛峯寺に、呼ばれ、
「貴方方の産んだ御子は、後嵯峨天皇の可能性があるから、大事に育てて欲しい。しかし、ただ前世の障りで、音楽はなるべく遠ざけて欲しい。」
と大阿闍梨に言われた。
邦男君は、その大阿闍梨が、古寺の近所の又又古い寺の和尚さんに似ていると思ったのだが、
帰りの電車で、同じ方向へ行く電車で、何度も
「音楽は駄目だよ。」と念を押され、
目的地の古寺の近所のその、更に古寺の前迄、タクシーで、乗り合わせ、
「じゃあ。」
と、元気に朗らかに、手を振って別れた。
「あの和尚さんは、何でも過去世が分かるそうよ。私は、静御前と言われたは。」
と妻の洋子は話し、
微かに笑った。
「あまり笑うもんじゃないよ。お寺さんの話しは大事にね。」
邦男君は、軽く戒め、
古寺へ戻り、
春風の強い日にコンコン咳を出す身体の弱い娘を抱き寄せ、
「不憫にねぇ。」と話したそうだ。
「娘の後嵯峨天皇の話しは、娘が二十歳迄伏せておこう。
二十歳迄生きられるか分からないし。」
夫婦は、早目に床に付き、行灯を消した。
この間も、夏風が、目に染みると、心室細動を出し、
一週間入院したばかりだ。
音楽と言っても
15歳から18歳位で騒ぐのだろうか、ら、それまで安心。又、
邦男君は、迷信を信じない古寺の浄土真宗お西の出で、
「鬼門に寝ろ。」
と言われる家柄の出で、占いや迷信の逆を行動しないと、破門になる家柄で、
その古寺の子供達は、皆、時折古寺から要求される
礼式破りに泣いた。
古寺には、ロシア人と結婚した兄夫婦も同居しており、第二次世界大戦のシベリア閲兵から帰還した大叔父や叔父も一杯いて、時には賑やかな古寺であった。
古代から続く檜風呂は、樽の形に、くり抜かれ、
皆皆楽しそうに次から次へと入り日々の疲れを取った。
ただ大叔父や、叔父達は、皆殆ど教養が高く、
東大や東大院生で、
芸子さんや芸妓さんが、時折たむろし、
大ばあちゃんの副坊守からきつく叱られていた。
それでも、日々芸妓の数は増え、
京都祇園から古寺直通のバスも運行され
着物や金襴緞子で着飾った、芸妓さん達。たまに金沢芸妓も来て、
太鼓を叩いたり、「正倉院からくすねたのよ。」
と言った新羅笛を吹いたり、
毎日金襴緞子のお祭りで、賑わった。
芸妓さん達が泊まる宿場も整備され
近所のお寺の下々を借りて、寝泊まり自炊する舞妓さん達も、増えた。
仕方無いので、近所の、東大総長のお寺に相談し、
信州の東大寺の善光寺さんや、
比叡山延暦寺の根本中堂の隣りにある阿弥陀堂を紹介され、古寺に寝泊まりしていた東大生の大叔父や叔父さん達に出て行ってもらった。
「東大生は二十歳になると、古寺を出て行かなければならない。」
そう言うジンクスが、東大生叔父さん達に広まり、
東大生を受け入れてくれる寺を探すようになった。
邦男君にそう言った話しは無く、
若夫婦、細々と、古寺の坊守を手伝い、
山の薪拾いや、竈の幼虫取りに精を出し、病弱の子供と住んでいた。
病弱の子供を想い、四国遍路へ旅立った邦男さんと洋子さんの若夫婦は、四国遍路第一番札所善通寺で、躓き、
程なく、邦男さんの妻は懐妊した。
「今度は、元気な崇光天皇ですよ。」と例のご近所のお寺のお坊さんから言われ、
玉のような、身体の大きい娘、次女を産んだ。
「これで、お寺も安泰。」
と古寺を仕切っていた大大おばあちゃん、が亡くなった。
「その子は、第二次世界大戦敗戦の復興日本の要になるから、大事に育てるように。運動を沢山やらせ、運動選手にするように。」
と言ったお達しがあり、
上の子供と違って、健康で育て易かった。
崇光天皇と聞いて、
生まれて直ぐ、近所のお坊さんの跡取りと縁談が決まり、日に良い日に、祝宴を挙げた。
5ヶ月と二十歳の結婚式で、第二次世界大戦前の皇族婚に当たると言う。
邦男さんは、
「こんな古寺に、何故皇族婚なんだい。」
古寺に残っていた、大隠居の大大叔父に聞いた所、
「えへん。えへん。崇光天皇だからだよ。」
と答えられた。
「そんなもんもあるんかね。」
邦男さんは、崇光天皇の実父の記しの恵比寿帽を被り、祝宴に、望み、国宝の、天の香久山の日本武尊の命が、草野に火を放って、姫を守ったと言う草薙剣を、縦にして、俵を割った。
「天地開闢離婚しない。」と言う、縁起担ぎだと言う。
そして、国宝草薙剣で割られた、俵酒を割り飲み、
次女で娘の崇光天皇の結婚を祝った。
伊勢神宮からも、古寺に使者が、来て、白い鳩を飛ばし、「凶」と言った。
崇光天皇お相手の二十歳のお寺の僧正は、祝宴の後間もなく若いのに脳梗塞で、死にそのお寺は、亡くなった。
長女の後嵯峨天皇と言われた病弱の娘も、
3歳の時に、京都金閣寺の縁続きのお寺の小僧さんと結婚し、健康状態が良い時に、祝宴を挙げ、第二次世界大戦敗戦復興後の、高砂神社の神官さん縁の古代の天皇衣装で、祝宴を挙げ、
これにも伊勢神宮の神官さんが、駆けつけ、
白い鳩と黒い鳩を2羽飛ばし
「吉でござる。」
と言って、高い酒を振る回れ、上機嫌でご機嫌で、伊勢神宮に帰った。
長女は、その後大手術を、近所のお寺さんの勧めで、東北大学医学部で受け、成功し、
二十歳を過ぎ、ピアニストとして大成している。
邦男君は、定年を迎え、
親元の古寺に戻り、静かにゴルフ観戦、野球巨人軍観戦をTVで楽しんでいる。
と言うのも、後嵯峨天皇の東北大学での大手術が成功し、南南西に、
5歳の時に
「天皇」
と叫んでしまい、危険だからと古寺の天皇家皆に、説得され、檀家筋の一軒家を紹介され、一家で移り住んだ。
古寺の、近所なので、古寺にも時々奉公し、
第二次世界大戦敗戦時のシベリア帰りの別の大叔父が、起こした企業を手作った。
そうして、定年迄勤め上げた。
「立派、立派。」
と、妻の洋子は、褒め上げ、細々とした退職金は、全て妻の勧めで、ゴルフの会員権に変え、
休日は、会社仲間とゴルフに楽しんだ。
邦男君の今の所の一生である。
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