アイルランドダブリンからバスに乗って揺られること数時間で着きます。

アイルランドの7つの不思議で景色が変わるそうです。次に来たときは城があったり、大きな農場になっていたり、二度と同じ風景はないそうで


グレンダーロッホと7つの教会群、昔王様が、最初の姫君が亡くなり、次々と同じような姫君を付近から略奪し幽閉し7つの城が1夜ででき、その地区に行くと羊も迷い居なくなることが多いそうです。


観光局ビジターセンターではグレンダーロッホの紀元前5000年からの歴史がシアターで放映されており日本の、石器時代や恐竜時代、アウストラロピテクスや北京原人等の大昔の歴史が2、30分程放映されており盛況です。シアターを見てからグレンダーロッホの遺跡群の観光に入り渓谷を歩きます。

ツアーでは2、3時間の自由時間が取られ思い思いにグレンダーロッホを観光します。



渓谷と山、湖、グレンダーロッホの空は中世そのままで、背徳の騎士が突然出てきて白馬に拐われてしまいそうなアーサー王伝説、ケルト民族のお墓群、渓谷を歩けば妖精王。小さなトリフの足跡。時間があればアイルランドグレンダーロッホのハーブ薬草取りといきたいのですが、一日ツアーの、短時間では限りがあり無理です。


グレンダーロッホの渓谷は不思議な懐かしい光景が、続きます。グレンダーロッホは日本の飯坂温泉所縁りの海外憩いの地で戦前は中国日本イングランドの隠れた王室子爵安住の地でした。

ヘンリー8世の奥様アンブーリンの出身地だとも言われています。

グレンダーロッホの、空に突然大きなアヒルが出てきて、ニルスのふしぎな旅のように中世の大空へ中世の薔薇戦争の、太古の時代へ飛んで行ってしまえ、日常の現代の煩雑さを忘れて

と叫びたくなるようなアイルランドの名風景です

グレンダーロッホにはビシュヌ神の影と呼ばれる小休憩所があり、ビシュヌ神の生贄として毎年謝肉祭には正カトリックの祭天で美少年と羊が供えられ聖パトリックアイルランドの守護聖人を祝います。
その日は満天の星空でゼウス神の微笑と言われるそうです。ハレー彗星ハレルヤ
現代のしし座流星群です。

第二次世界大戦幕開けの年に一度だけ曇ったことがあり雷が二筋グレンダーロッホの閃塔に落ちたそうです。中では春狐が巣作りをしていて落雷の翌日村人が一匹の大狐が焼け焦げていたそうです。
腹には赤く「J」の文字
村人は凶のオシルシとして法王庁にあげ
イエス・キリストの伝書鳩を飛ばし報告し聖カトリック教会の称号を貰いました。
第二次世界大戦はイングランド快勝
ビシュヌ快勝と呼ばれています。
「アインシュタイン伝記」に書かれています。

キリマンジャロに雪降もらず
ミッドウェイ開戦で日本敗戦が流れた5年前です。
グレンダーロッホ法王庁の神秘

グレンダーロッホ外伝

グレンダーロッホに遠く昔七つの尖塔が建ち謝肉祭の前日に七つの尖塔が隠れるか隠れないかの出窓のちょっと上に霧が立ち込め遠くアイルランドの戦士のお墓を映すといいます
その戦士の墓が誰誰かは分からず長い間謎で恐らく地形的にアーサーキングの7人の戦士の誰かはという噂があり、ある王様がその墓を探し当てた旅人に大いなる懸賞金妃を与えると宣伝し
一時各地から騎士が集まりくは人気になりました
結局墓は見つからず妃は年を取り、グレンダーロッホで亡くなり大きな湖ができました

ビシュヌ牢と名付けられ、霧が晴れた快晴の日には大きな白い白鳥が飛び湖の底から歌が聞こえるといいます
あるカトリックの宣教師が、道に迷いその湖の底から聞こえる歌に導かれ助かり一命を取り留めグレンダーロッホは有名になりました

後に法王になった宣教師さんはグレンダーロッホでの救助を偲びグレンダーロッホに修道院を建設したが上手くいかずグレンダーロッホの渓谷は放置されました

グレンダーロッホはその後法王教区になり、現在もアイルランド騎兵隊が守っています

グレンダーロッホの神秘その2
ビシュヌ神の戒