ハノイから寝台列車ビクトリア号で11時間、ベトナムの美しい田園風景で有名なサパへ行った。

ハノイ駅は夜10時頃出発した。夜のハノイ駅、不安になりながらビクトリア号の出発を待つ。周りは人はまだら。夜の人混みの多いハノイの町並みを後にして、2泊3日の軽い荷物を背負って1人ビクトリア号へ乗り込む。個室のコンパートメントを開けてびっくりした。映画「タイタニック」で有名な、デカプリオ様が笑っている。ハローと言いながら、超高級なカメラで、写真を撮ってくれる。人懐こい。日本から持ってきたお煎餅を、上げたが丁寧に拒否された。ビクトリア号は、静かにハノイ駅を滑り出し、サパまでほぼノーストップ。静かなベトナムの町を滑り抜ける。デカプリオ様は、すぐにラウンジかどこかへ消えてしまい、朝方もぞもぞと帰って来た。そうしてすぐに、サパ駅でバアイと言って去って行った。ほとんど会話をしていない。コンパートメントには、ベッドが2つ並んでいたが、彼はほとんど別車両。情けないくらい、びっくりした。




サパは綺麗だった。少数民族が、沢山いて思い思いの民族衣装で町や野を歩いている。

ブリタニカ民族年鑑で見たような少数民族の人達である。カラフルなターバンや衣装を身に纏い、その衣装を見ればどの民族かが分かった。




町は、ビクトリア号が満員だった割には閑散としていた。サパ駅からビクトリアホテルのタクシーに乗った人達は皆何処ヘ消えたのだろう。




サパのトレッキングを予約した。5キロコース、10キロコース、15キロコースと分かれていて、とりあえず滞在期間一日一つづつ5キロコース、7.5キロコース、2.8キロコースを予約した。すぐに後悔した。確かに田園風景は綺麗で、世界一の棚田も綺麗だ。サパの空は地球を超えて晴天で、気温も28度位。帽子を被れば、過ごせるだろうと軽く考えていた。甘かった。外人さんもアジア人も混合で、トレッキングするのだが、水も、コントレックスを1本500mlを携帯した。日本のお菓子も少々。

、皆と一緒にトレッキングした。甘かった。太陽はどんどんどんどん上昇し、白く小さく小さく。太陽光線の影が無い。田園風景は緑が戦ぎ、風は心地よい。しかし、やはり滝を超えて段々の棚田を真横に見ながら、途中休憩所の売店でベトナム風おでんのようなものを頬張り、参加者全員で記念写真をとりながら、トレッキングは終わらない。皆皆、黒いサングラスをかけたり、持参のスカーフで汗を拭ったり外人さんは談笑しながら歩いていく。のんびりと心地良さそうに。風景は綺麗だ。道も緑の田園の中の褐色を細い道とし続き、風は戦ぎ、サパの風は終わらない。トレッキングも終わらない。駄目だと思った。太陽は正中にきている。日本と違って、太陽は影が無く上昇するごとに輝度と高照度を増大しそのパワー、力を弱めない。田園の端にテゥクテゥク、ソコタクを見つけた。思いっきり手をあげ、help me  !と叫び、先頭を颯爽といくチーフに思わずリタイアの旨を伝えた。

、日本の小型バイクのようなもの、テゥクテゥクに飛び乗った。ホテルまで1000円、即座にOKの返答、救急車のようにビクトリアホテルまで向かった。お兄さんは、笑顔で1000円を受け取り軽やかにF1サーキットのレーザーのように走り去っていった。有難う。心から、返礼した。頭はクラクラしている。部屋へ戻り以後のトレッキングの予約は全てキャンセル。ホテル提携のスパとか足つぼマッサージで大人しく過ごした。帰りも、ビクトリア号トレインで、帰ったが、デカプリオ様は居なかった。サパの田園風景は、戦前日本軍が占領していたように長閑で線香の香りがした。老人が、昔サパに、日本人の子爵の兵隊さんを埋めていた。今は、外国人墓地になっている。外人さんが日本の貴族に肖りたいと大勢詰め寄っている。困ったものだ、と話ししていたのを思い出した。サパの風景は窓の外へ緑の歴史と共に流れている。サパ駅は、白系外人さんで溢れ返っていた。