鯨は好きです。魚の中では、美味しいし缶詰保存10年は魅力的です。鯨缶があればご飯は進むし
食べごたえはあるし
美味しい。



今は鮭缶です。シーチキン、でも鯨の名前を聞くと居ても立っても居られず、遠く海が見える小高い丘に登り、鯨の好きな、口笛を吹くのです。鯨が、必ず来ると、いう。

昔は、笛が方々から鳴ると、遠くに潮を吹く鯨が現れ鯨漁が始まります。多くの人が小舟に乗って海を棍棒で叩き、鯨を姥の懐に追い込みます。姥の懐は天然の生け簀で追い込まれた鯨がギクシャクと泳ぎます。


時には親子連れで。親子連れの時は八朔祭りは中止で、お彼岸の菊祭りを重視します。鯨は先祖の霊とされ、穀物は実りますが子供は飢饉、子供だけ放し飼いにする漁師もいるらしいのですが、東北のリアス式海岸、磐東の荒くれ漁師は全部買い。その代わり盆暮れの神社へのお布施を弾むそうです。猿渡酒列神社。

鯨は保存が効くため高額取り引きされ一部トドの目と合わせ鯨目として宝石商へ売られます。



学校の昼下り、窓から鯨の塩吹きがみられると、皐月市も、開催され、町は一時賑わいます。太平洋の沖の鯨、日本人の憧れです。



鯨は、高級バックの金具にもなりますし、ちょっとしたブランドです。ビクトリア王家。



皐月市は、鯨が、重いので町が、沈まないように配置するようです。



鯨肉は、固く鋸も歯が、折れ大工さんが、チエンソーで、切っていきます。


、3日で切って、後は沖に、放置。岩石の、ように海に浮かんでいます。昔、小舟で、鯨の置いてある、遠海へ行き死んだ鯨を、撫でたことがあります。鯨の目は真っ黒で、大きくご随行した、漁師さんが、人間と同じだわ死ぬ時はとおっしゃいました。隣に、真っ白な枯れた抹香鯨が浮いており、中はカラカラで、目は、白く灰色で、大昔10年前、捉えられ死んだのだよと、語ってくれました。死んだ鯨に、漁師さんはお坊さんになり南無ーと、読経し数珠を掛けました。隣で、お坊さんの奥さんの尼さんが、香を焚き成仏、成仏と、念じられ今日は鯨の命日です。大事にねと語られ優しく鯨の頭を撫でられました。杖のようなもので。お坊さん漁師さんの、話では、鯨は、供養すると、また来てくれるそうです。



9男は鯨の中に、ヨブみたいに住みたいと、大洗水族館へ就職しました。鯱や鯊に餌を遣るのが一番つらいと話しています。何故ときくと、口を開いたときの牙が怖いのだそうです。10男は消防士の免許をとりました。三勤交代でほとんど家にいないのですが、帰ってくると庭の枯れ木の痛み具合とか天候に神経過敏でこちらも気が疲れます。早く帰れ、消防士。