事務長は、今日はいません。いなくなったみたいなんです。失踪でしょうか。

 事務長は若い事務員と去年、結婚し、全財産グアム挙式に費やし、ほぼ破産状態、ハネムーンから戻ってきてからは、仕事に邁進します、と高らかに宣言していた。背広の衿がテカテカしていた。



 仕事をテキパキとこなし、もっと若い事務員にお茶出しもし、新婚後輝いているねと高評判、クライアントからも好評、笑顔が愛らしいニコニコホームだ。髪の毛もアートネイチャーからアデランスに新調し、男は身だしなみと新婚をアピールしていた。



如月のある雨の降る午後、仕事の出来そうな妙齢のスレンダー美人が、訪ねてきて、ちょっと外出してきます。すぐ戻ります。と買い付けの500円傘を持って、事務長はそそくさと出ていった。



2、3時間後、深刻な表情で戻ると、もしかしたら、僕は鴨になるかもしれません、と悲しげに呟いた。



鴨ですかぁ、僕は週3回、と決めているタバコを灰皿に捨て呟いた。

 最近変な従業員が増えている。雨が降ったからと、洗濯物を込みに突然家に帰る者、
飲み会の精算に親を呼び出し支払いをさせるもの、最近の若者はたるんでいる、という標語の後にでてきた新世代、アメリカナイズ極まれりといったところか。

彼は、神妙な態度で、その時は宜しくといった。



翌日から彼は欠勤し、空の席は、小さなブルーの花が挿されていた。

空は快晴なり、梅雨前のずっと前の晴天が続いていた。



近くに鴨と白鳥の飛来する大きな池があり、春は葦が生い茂り、風が爽やかで、ちょっとしたデートスポットであった。


鴨をみにいきませんか、家内が少し早めにしごとを終え、小学生の子供を呼び出し、家族で2、30分で一周してしまう小さな池を歩いた。


風が心地よいわね、家内は呟き、子供は、お父さん帰り鴨南蛮がたべたい、といった。近くに、鴨のうまい店があり、時々家族で寄っていた。


池は小さく、まだ寒く鴨がガアガア群れをなし、白鳥が遠くを遊覧していた。


子供ははしゃいで、池に石を投げたり石切りしたり、家内は、鴨にぶつけてはだめよと、髪を掬った。遠くに、虹色の浮輪が一つ流れていた。

石を投げると鴨はがやがやと遠くへ羽ばたき、また戻ってきては遠目にみていた。


 一羽遠くで動かず、太ってこちらを悲しげにみている緑色の羽が神々しい鴨がいた。


あら、素直さん、家内は前事務長の名前を呼び、艶っぽく笑った。僕は、なんとなく笑えなかったのだが、合わせてわらった。


 前事務長さん帰らなかったのよね。家内は、含み笑いで話し、僕は無視した。彼女は、グアムの、派手な挙式を妬んでいた。


 ハネムーン土産を持って、彼が我が家を訪れたとき、

「今度、私も連れて行ってくださいな、」

と甘い声で話していた。


 前事務長が、鴨になった。そんな噂が、まことしやかに流れだし、池を訪れる会社の人が、増えていった。


今日は事務長は、ハーレムに破れた。あの子が意中で、振り向かなかったようだ。皆、てんやわんやで勝手に憶測した。

大きなボス、前事務長より、一回り大きい雄の鴨が、全事務長の首をかみ、血だらけになった事務長が、動物病院に、運ばれたのもその頃で、前事務長がいなくなると、池の観客は自然に減っていった。


鴨南蛮美味しいね、子供は、柿右衛門を回るく手ではさみ、湯気をふうふういっている。僕は、鬼殺しのお箸で、子供の椀をくるくる回し、食べやすいように、わけてやった。唐十郎の湯呑み茶碗から、煎茶の湯気が桐の天井まで昇っている。

「隣の鞠ちゃんが、この間、トラ塚古墳にいって、鴨が増えたといっていた。」


まあ、それでは、私達も行かないと、家内は、鼻をかんだ。


トラ塚古墳は、近所にあり、記念博物館があり、展示物が、古墳の埋葬品、弥生型の壁画など残っていた。


僕も、何度か訪れ、楓林が古代を思い出させる空気が静寂で古代にタイムスリップしたような神聖な場所。


 家族で、次の日曜日いってみた。眼鏡をかけた鴨の壁画があり、赤いスカーフのようなものも首に描かれていた。素直さんじゃないかしら、家内は叫んだ。

 前事務長は、鴨は、寂しく私達をみている。喋りたいのに喋れない、鴨の悲しさがあった。



数年経ち、事務長の鴨は、雄鴨同士の戦かいに破れ

、亡くなったとト報が入り、

皆で沼に見に行くと、眼鏡を掛けた雄鴨が、皆に突っつき回され亡くなっていた。



そうして、又数年後、近くのファミレスで、生まれ変わった子供の事務長と出くわし拍子抜けした。

何故分かったのかと言うと、

近所の霊媒師が、

「そうだ。」と言ったからで、


足に大きな事務長と同じ黒子があり

それが決め手になった。



ダライ・ラマの傘策のようだが、

事務長の家の庭には、

沙羅双樹の花が揺れており

何か平家物語の「生者勝者、必須いの理を表す。」

のようで、裏悲しい。