阿武隈の鍾乳洞に夏休みにいった。家族10人大人数で、夏休みにいつも行く家族旅行、今年は阿武隈が選ばれた。爺ちゃん婆ちゃんは車の後ろに乗り、大工なので小さな小刀を持っていて、休憩時間に小さな民芸品のようなもの、河馬や、鷲、犬といた木工細工を作ってくれた。


阿武隈へ行く少し前に、小さな寺があり、東北方面の旅行のときには、必ず停まる寺で、家族の一時休憩所になっていた。鬱蒼と茂る杉は、日光東照宮のような杉林ロードで昼間でも真っ暗で中は蝋燭が必要だ。


ちょっとした立ちションスペースで、男性はそこで用を足した。


おじが、蝮にションベン引っ掛けてしもうた、そりゃ大変だ、化けて出るよ、皆笑いあった。


そろそろ出発、皆車にのる頃、巫女さんのような神主さんのような白い割烹着、神官着のようなものと赤い袴を着た人が団扇を持ってい来なさい、と簡単な木目の見える団扇をくれた。赤白の長い織紐がついており渡されたお爺さんはなんだろな、蝮に小便引っ掛けたのは、あの人や、と別の叔父を指差した。その人に、団扇をわたすとき、お爺さんはううぅと言って腕を押さえた。重い、他の人も渡されて、こりゃ重いと蹲った。


「頼みますよ」、巫女さんは後ろ姿をひらりとして去っていった。


翌年、母親が妊娠し、玉のような女の子を産んだ。蝮の子でねぇか、お爺さんは怖がって近寄らない。お婆さんは、喜んで、蝮の子は妾が取れない、大王繁盛と笑った。確かに、それ以降高度経済成長期で、人口増加が、問題になるほど戦後復興は成功していた。


蝮に立ちションは、その後ニ、三件確認されており寺の和尚さんは、郭公の巣狩りをしたからだ、といっていた。

あとから寺の和尚さんから、鎌足の墓、道長の墓、尊氏の墓に参ってくれないかとそれぞれ親が呼ばれ参ったが、親達はその後何も話さず、無口な酒が続いた。

夏の怪奇談です。