蕨が、でるころ迎えにいくよ、宏はそう言って、弘前から集団就職で東京にでていった。手紙など書く人ではなかったが、出ていってすぐ、住所をしらせる簡単な葉書が届いた。


土方の仕事をしている、万事急須とかかれており、家族みんなで笑った。


来年には、結婚だやね、と祖母は、野良仕事で、疲れた腰をのばした。空には鰯雲が、大量に流れてていた。



嫁支度だし、簡単なものを揃えておけ、親もいうようなり、宏の親も挨拶にきた。

宏からの手紙は、その後ニ、三度来て途絶え、心配だから見に行ってこいといわれ


東京にいった。

手紙にあった住所にいくと、シュミーズ姿の年増の女が出てきて、宏はいないよといった。シュミーズの

下の白い上腕に、黒く鬼と刺青がみえ、足には、黄色の鶴の入れ墨が、シールのように張り付いていた。浅草の踊り子なのだろう。長い睫毛を緑色にカールしていた。金色のアイライン、強烈だ。


頭が混乱しびっくりして、そのまま弘前に戻った。親には、なんて情けない、きちっと顔みてから、けじめをつけてこいといわれ、また戻った。


二度目の訪問で、宏はやつれた感じで、子供が出きていつかれて、と少し酒臭い口調で、ボソボソと呟いた。済まない、ともいった。宏はランニングシャツを着ており白が眩しい。ランニングシャツの肩越しに、小さな冷蔵庫があり、小さなビール缶が、数本置かれていた。



蕨どこじゃないよな、宏は気だるく視線を逸した。

宏の後にも鰯雲が泳いでいた。薫というんや、子供は茜、秋田の子、


子―ーーーー、といったって、あんた私と同じ年やんけ、灰色な気持ちになり太陽が黄色くみえた。アスファルトの高速道路がキラキラ遠くにみえた。その場に倒れそうにならないように、必死で、バス停留所まで戻った。

どうやって帰ったのか覚えていない。親は、宏の家に行って破談にした。母親は、小さい子供の写真があったわ、と無機質に言った。


蕨の煮物を祖母が作ってくれた。宏がきたら、箒を逆さにして追い返すよ、生禿も呼ぼうか、祖母は、やんわりと、長い菜箸を半月状にまぜていった。

蕨が、無くなったから、取りに行ってこい、と祖母にいわれ野に取りに行った。蕨が群生していた。薇だったらどうだろう。春、秋逆転か。友達は、百合根の収穫の頃迎えにいくといわれ、やはり別れた。蕨、百合根秋の植物は、全滅、結婚成就していない。

風が冷たくなってきた。集団就職のとき、頬に、キスされた右頬が、痛い。宏のサッカー少年はもうみられないのだなあ、と涙が止まらない。弘前の冬は早い、雪駄を用意しといてやと父親がいっていた。

 父親は、マタギをしていて山に入ると1週間は戻らない。山に共同で、炭焼き小屋を持っていて山の難所に熟知していた。小屋には、先日畑を荒らして撃ち殺された大きな羆の毛皮が飾ってあった。銃も錆びない程度に磨かれており、私が、この大きな羆を撃ち止めたんだと誇らしげであった。

 羆を撃ち止めたとき、その大きな爪をオーブンで焼いて滋養にできないかと、邑の人で話し合った。

 オーブンは壊れてしまい、薪でじっくり燻製にした。


 父親の雪駄をさがしに、裏の薪割り小屋までいった。

雪掻き棒の隣に、大昔、宏にかした軍手が置いてあった。蕨と小さくかいてあった。高校で、習った漢字、二人で覚えようと何回も練習した。頭がぶつかって笑い転げた。宏はもういない。蕨はあんなに群生しているのに。灯籠のように、芒が泣いていた。