「仏性」のお話です。
松原泰道師は著書「仏教入門」の中で、親鸞上人と盗賊の話をしておられます。
盗賊が六角堂に忍び込み、祈念をこらしている親鸞にの目の前で、本尊仏の観音像を盗むのです。親鸞は追いかけます。盗賊は観音像を抱えて喋りまくったといいます。
「盗まれたり、火に焼かれたり、水に浸されるような仏像を拝んでどうするのだ。火も水も盗人も犯すことのできない仏がどこかにあるだろう」
去っていく盗賊を親鸞は悄然と見送ります。
そして自分に言い聞かせます。
火も水も盗人も犯すことのできない仏がどこかにある
そして吉水の禅房に法然を訪ねることになりました。
松原師の文章です
仏像を拝むのは、偶像崇拝ではないのです。それは、鏡をみるのに似ています。鏡を見るのは、自分を見ることです。仏像を拝むのも、自分の中に埋め込まれている純粋な人間性を凝視するためです。仏像を拝むとは、自分を拝むのです。
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人間は誰しも その奥底に「仏性」を自ずから持つ。
私が学びました先師たちは 異口同音に申されます。
やっとその存在を 時々観ずることがあるように思われます。
今日も修業させていただきます。
※ 画像は 仕事先の小学校の 遅咲きの梅の花です。