隠逸 | 花やっこ

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隠逸

正岡子規「書屋俳話(だっさいしょおくはいわ)」の中で引用されている言葉です。

隠逸とは「世俗から離れて、隠れ住む」の意味です。隠遁も同じです。
「獺祭」とは、カワウソ(獺)には捕らえた魚を川岸に並べる習性があり、これがまるで先祖に供物を捧げて祭っているように見えたことに由来する言葉で、今ではお酒の名前で有名ですね。「獺祭書屋俳話」は正岡子規が新聞「日本」に掲載したエッセイです。

■菊は別名として「隠逸花(いんいつか)」と呼ばれているようで、その意は「暗闇でも、その清らかな香りでそこに菊があることが分かる」。その名の出典ですが、中国の北宋の時代、周敦頤(しゅうとんい)という高名な思想家が著した「愛蓮説」の中に、「予謂菊花之隠逸者也」という一説があり、読み下せば「予は謂へらく、菊花はこれ、隠逸なる者なり」でしょう。意味としては「私は、菊とは俗世間から逃れた者、つまり隠逸者の花であると思う」といったところでしょうか。

隠れたところいても、輝きを見せている人のことでしょうか。
野に咲く小菊の如き・・

■「隠逸の花」は千利休のエピソードにも現れてきます。利休の師に、大徳寺の古渓宗陳(こけいそうちん)という禅僧がいました。当時まだ千宗易(そうえき)と名乗っていた茶道の大成者が、豊臣秀吉の計らいで正親町(おおぎまち)天皇より「利休居士」の名を賜った際、師である古渓宗陳はこれを大いに慶び、「隠遁の花」を利休に例えて詠った詩をおくりました。この詩は今でもお茶会の席で、書として飾られるそうです。

庚老神通老作家飢来喫飯遇茶々
心空及第等閑看 風露新香隱逸花

庚老は神通の作家
飢え来れば飯を喫し、茶に遇うては茶
心空及第して等閑に看る
風露新たに香る隠逸の花

「庚老(ほうろう)」とは「庚居士」として、神通力さえ持つといわれた唐の禅僧で、その境地に利休居士も達していると称えている詩です。その中で千利休を「隠逸の花」に喩えています。

■その姿は清楚な菊の花ですが、香り立つ存在に人は「畏敬」の念さえも湧きあがらせたのでしょうか。

 あきらかに菊を見るとき、こころ落ち着きますね。穏やかな空気を感じますね。
 不思議な香りがしますね。

 皆さまも菊の香をお楽しみください