母が泣いていた誕生日

 

父は亭主関白だった。

料理は一切しない。
夜勤明けで帰宅すると、朝からお酒を飲む。

朝ごはんは出てくるまで待つ。

母は仕事の準備をしながら洗濯物を干し、メイクをして、台所に立つ。

父は聞こえるように言う。

「はぁ。疲れた」

料理が出ると、わざとらしく言う。

「うわぁ。美味しそう」

どんな料理も箸で食べる。
パスタも、麺類も。

母が「タレつけたら美味しいからね」と言っても、

「いらない」

それが、私の見てきた日常だった。


祖母も強い人だった。

母が結婚当初、父の実家で食事を囲んだときの話を何度も聞いた。

お腹がいっぱいでも、
「もっと食べて」と料理を盛られ続ける。

妹が生まれたときには、
「男の子見たいね〜、可愛くないじゃない」と言われた。

妹は高身長だった。

「のっぽ」「でかい」と言われ続け、
身長を低く見せようと猫背になった。

家庭の言葉は、静かに人を削る。


でも私が一番忘れられないのは、
母の誕生日だ。

父と母は言い合いになった。

父はリビングでテレビを見ていた。
バラエティ番組の笑い声がやけに大きく聞こえた。

母は奥の部屋で、泣きながらアイロンをかけていた。

私は廊下に立ち、
テレビの音と、アイロンの蒸気の音と、
母のすすり泣きを聞いていた。

誕生日なのに。

「おめでとう」の一言もない。

ケーキもない。

謝ることもない。

広いリビングでテレビを見ている父と、
奥の部屋で泣いている母。

その構図に耐えられなかった。

私は初めて父に怒鳴った。

「ママが泣いてるの知ってるの?
誕生日なのに何もしてあげないの?
最低。」

父は私を見て言った。

「何キレてんの?」

それだけだった。

またテレビに目を戻した。

私は近所のケーキ屋に走った。

ショーケースの前で、どれにするかも考えられなかった。

ホールケーキを買って帰った。

白い箱を抱えて帰る道、手が震えていた。

怒りなのか、悲しさなのか、
どうにかしたいのか、
このまま終わらせたくないのか、
自分でもよくわからなかった。

ただひとつ思っていたのは、

誕生日というものは、
その人が存在した日を祝う日だということ。

生まれてきてくれてありがとうと、
感謝を込める日だということ。

その日に、泣いていてほしくなかった。


本当に“信用”という言葉を考えたのは、もっと後だ。

コロナ禍で支給された給付金。

妹と私の分も含めたお金は、本当は私の大学の学費に充てる予定だった。

母とも話していた。

奨学金を二か所借りても足りない学費の、少しでも足しにしようと。

でも、父は使ってしまっていた。

全部。

私は退学を選ぶべきなのか、本気で悩んだ。

泣きながら祖母に電話をした。

「学費に充てるはずのお金を、全部使われた」と。

祖母は言った。

「はーちゃん、あのね。パパのことは信用しちゃいけないんだよ?」

私は思った。

それは、私にかける言葉じゃない。

怒りというより、静かな絶望だった。

結局、母が何とかしてくれた。

どうやって工面したのか詳しくは聞いていない。

でも私は退学せず、卒業することができた。

母は強い人だ。

耐える強さではなく、やり抜く強さ。

私はその背中を見て育った。


私は家族を全否定したいわけではない。

父にも父なりの事情があったのかもしれない。

祖母にも祖母の価値観があったのだと思う。

でも。

私は、あの家庭を繰り返さない。

誕生日に誰かが泣く家は作らない。

娘に「信用するな」と言わせる空気を作らない。

約束が軽く扱われる家庭を、普通にしない。

幸せな家庭が欲しい。

それは夢じゃない。

私の意思だ。