ニヤマ(訓戒)の最後自在神祈念って何でしょう
今回は前回のブログからご質問頂きました。有難うございます。
Q:「イーシュワラプラニダーナ」
初めて聞いた言葉なのでネットで意味を調べてみた
ところ、「ヨガ的には流れに身を任せること」と「祈念」の両方が出てきました。 こ
の二つの定義は相反するように思うのですが、どう捉えたらいいんでしょう
そしてヨガの養成時でも生徒さんからもこちらについて質問される事が多いので出来
るだけ詳しくお伝えしていきます。
イーシュワラプラニダーナ Ishvarapranidhana
Ishvara =神・原理・全知全能・創造主・統治するもの
自分が信じている神が自在神とされる
Pranidhana=祈り
古代インドを起源とするインド六派哲学の中のサーンキャ哲学に➕イーシュワラ
(神)を言及した一派が【ヨーガ哲学】とされています(六派哲学に入っている)
全てのインド哲学で言及しているのはサマディと言う輪廻の世界から脱する解脱・悟りとなっております。
その為哲学となっていますがそこには宗教と密接に繋がっております。でもある一定の神様に対する言及では無いことがヨガ哲学の考え方です
ここ迄はイーシュワラプラニダーナについての語源の説明です♪(長ーい)
※因みにイーシュワラとイーシュヴァラ表記がありますがサンスクリット語ではVはWと発音する為欧米発音とサンスクリット発音がありますが全て同じモノを指します。
陰陽では相反するものは全て同じであると考えられています。
「流れに身を任せる」と「祈念」は譜面上は相反する考えの様ですが流れに身を任せるという事は簡単にいうと【神様の御心のままにこの身になります様に】です。
キリスト教では天の祈りの中でもイエスキリストの母マリアの受胎告知時の言葉も上記の言葉が記されております。
ただその場の流れに乗ってでは無く そこにある大いなる源の思いにのって身を任せる事です。自我を入れずその中には人任せにせず神の御心に抗わずです。己も他者も何者をも人としての我を介在させない事です♪
祈りもそこには願いでは無く大いなる叡智に向けての
【神様の御心のままこの身になります様に】です。
もしかしたら自分の願いとはその時には真逆かも知れませんがそれが今の私に1番必要な事だから。
そして辛い事が大きければ大きいほど逆の振り幅がその先には待っています。自分が今望んでいる事ではなくても魂の成長においては1番のものを用意してくれてるのですから。
そして経典の一つでヨガスートラ2:45. समाधि सिद्धिःईश्वरप्रणिधानात्
すべてを自在神に捧げることによっ
サマーディを成就する。
なんて記述されております。(ご興味あれは是非ヨガスートラをご参照ください)
相反するものこそが一つのもの🎶
長所は短所でもあるし 捉えるところで全く真逆の結果となってきます。
ということは答えは各々違ってくるという事です。
同じ事なのに・・・
これが裏と表は同じ存在 トーラス理論 陰陽でございます
そして何よりもそこには生きとし生けるもの 誰かが感じている全てが同じ意識体での一つである事に感謝しかありません。
皆様の幸せと喜びを心より願っております。
花乃 海輝