こんにちは。
ミリーです。





きのうは朝から暑く感じてホッとした私です爆笑
室温はまだ28℃でしたが、
30℃あっても肌寒かった日が続いてましたから。
少し自律神経が良くなりつつあるのかなぁ〜!?



金曜日に糖尿病内科を受診して帰宅途中に買い物をして来ました。
買い物の途中で右の股関節周りの痛みピリピリまた出ましたアセアセ
いつもはそうなったら歩くのをやめると治っていました。
それが金曜日はずっと痛い!!


帰宅して夕飯を食べて大人しくしていました。
でも室内を歩いても右の股関節周辺や腰に手を当てて押さえるようにしないと痛いアセアセ
骨盤の動きもおかしいし、
右の股関節がやはりとても気になる。
歩き方も狂ってしまう。
土曜日の朝になってもこの股関節周りの違和感と動きにくさと鈍痛は続いてました。


接骨院でカイロプラクティックの日でした。
この日は2階で施術。
手すりのついている急な階段を上がりました。
やはり右の股関節の動きが悪いですキョロキョロ
院長先生が身体の歪みを修正してくれましたラブラブ
作業療法士さんが見つけて、
理学療法士さんも確認していた右の股関節周りの筋肉の1つ。
そこだけが動いてないと言われてました。
そこをリハビリで動かすことを続けているところです。
買い物などで少し長めに歩くと起こるこの痛み。
まだ続いていることががっかりしますアセアセ
これって、ただのストレスだけなんだろうか!?
疑問がもくもくです爆笑


右の股関節の筋肉が動かなくなって、
それで痛みが出ていたようですタラー
2日間痛かったので、
まだ今朝も右の股関節周りの違和感は少し残っています。
身体が右の股関節周りの筋肉が動かないことで、
ガタガタして歩幅が出ませんでした。


膝も伸びてませんでした。
膝は椅子に浅めに座って、
脚をクロスしてグッと力を入れます。
これを脚を左右のクロスを入れ替えてしました。
こうすると膝裏が伸びました。
「椅子に座ってやるんだよ!!」と教えて貰いました。
フラついていたのは良くなって帰宅しましたルンルン


右の股関節、
また骨頭壊死してしまわないかと不安になります。
いきなり短期間であっという間に壊れたから。




ジョイナーさんがミリーさんはこれ上矢印なんじゃないの!?

と教えてくれました。

読んでびっくりびっくり

乾癬性関節炎と強直性脊椎炎があるから、

これだとは思ってませんでした。

整形外科の主治医達もこれを考えたのかもしれないけど、

乾癬性関節炎でも強直性脊椎炎でも特に強直性脊椎炎では股関節が人工股関節になることが多いから、

この病気の影響や喘息でステロイドの大量投与があったことも可能性はありました。

よく見つけたなぁ〜と思いました。



コンタクトが乾いて外れてしまうほどの異常な目の渇きがあったり、

レミケードを点滴するとお肉やカレーやキムチが食べられるようになることなどなど、、、アセアセ

怪しい病気はあるんです。

でもね、

強直性脊椎炎の難病手帳の更新もとても大変でした。

私の場合は毎年大量のレントゲン写真の撮影が必要でした魂

今は生物学的製剤と免疫抑制剤のおかげでかなりレントゲン撮影も楽になりました。

6人がかりで押さえつけられて、

プルプル震えながら2時間半かかっていたんです。

レントゲンの台はとても硬くて痛かったぁ〜えーん

これを毎年、、、。

失敗も含めて120枚以上撮られることを考えるだけで、

苦痛でした。

しかもあの大学病院はレントゲン撮影が下手だと豪語していました魂



もしかしたら白黒つけるために、

診断を受けると色々出てきてしまうのかもしれないと思っています。

それがちょっと面倒だと思っている私がいるんです。

追い出されてしまった主治医も

「あの〇〇の整形外科チームのいる大学病院へ転院するのが1番だよ。」

と言われてました。

出来たら知りたくないこともちょっとありました。

全て炙り出されると面倒くさいことになりそうだと思っていたんですタラー

手帳とかはとても有難いことです。

でもその更新の書類を自分でいつまで書けるのだろうとか、

考えてしまう年齢になってしまいました。



私は死にたくなる痛みから何とか人間らしく生きられたらそれで良かったんです。

ひとりでも生活出来る身体があったら、

他の不具合は目をつぶれたんです。

他の病気がわかるたびに、

自分の貰った身体がポンコツだと知ることが嫌でした。

クビにしたケアマネさんに言われたけど、

【お気の毒】ではないと思っていたから。

人がどう見ていようと、

私は幸せだと思って生きていたから。

蓋をしたかったことを全て明らかに出来るかはわからないけど、

病名をきちんと確認したい!と思いました。



接骨院の院長先生に、

教えて貰った特発性大腿骨頭壊死症の話をしました。

院長先生は、

「すごいなぁ、その友達。まさにこれだよ。」

と言われましたびっくり

乾癬性関節炎ではこういう壊れ方をしないんです、たぶん。

ほとんどいないからわからないけど。

だけど強直性脊椎炎があるから、

そうだったのかなぁ〜と私は思ってました。

各主治医もとても驚いて私のレントゲン写真を診ていました。



私に何が起こっていても、

年齢を考えると残りの人生は限られています。

痛くて眠れないほどの痛みはもう嫌です。

痛みが完全になくなることは、

私の場合は進行してしまっているのでもうありません!

痛みはあるけれど、

リハビリを続けながら出来ることを増やしていく。

これで私は今は満足しているんです。

多くを望んでも叶わない。

叶わないことではなく、

頑張れば叶うことを1つずつ叶えて、

笑って小さな幸せを大切にして生きて行こうと思っているんです。

私が若かった頃は今の治療はなかったから、

それを悔やんでも悲しくて悔しい思いしか残らないですもの。



私の病気に対する生き方はアラカンのおばちゃんの生き方です。

若い世代の人は、

病気を知ったことで臆病にならないで欲しい!

関節破壊が起きてなければ、

どんなに痛くても普通に仕事して勉強して工夫をして生きていけるんですから音符



健康な人とは違って無理をしたら、

痛い思いをしてしまいます。

でも、それが出来たらやり遂げたら幸せ感じませんか!?

出来るんですよ。

ちょっとだけ無理したら。

そんな時も平気な顔をしないで、

ちょっと大変だったことを周囲の人にきちんと伝えて下さいね。

わかってくれる、助けてくれる人は必ずいますから。

そしてあなたを必要としている場所が必ずあります。

一生懸命生きてる人を馬鹿にする人ばかりではありません。

ひとりで抱え込まないことを、

私はこのブログでブロ友さん達から教えて貰いました。



ゴリさんも言っていたんだけど、

私はその時素直に聞けなかったんですタラー

意地をはらなきゃならない時もある!

だけど意地をはり続けるのはとても辛いですよね?

若い時は特にそうでした。



明日から大学病院の連絡は待ちます。

鶏ガラ教授が転院先の紹介状に聞いてないことを書いていたので、

転院先からは紹介状が貰えないことがわかりました。

紹介状を書くのを検討していると聞いています。

検討しないと紹介状が書けない理由、

知りたくなりました爆笑

何かおかしいよね!?

本人から連絡があれば書くと総合病院の文書係さんには言ったそうです。



診断を仰ぐ予定の医師は遠い大学病院の整形外科チームの教授なので、

すぐには予約が取れないと思います。

紹介状がなくても初診料を支払って、

遠いけど行ってくる覚悟が出来ました。

何回かは通院が必要だと思います。

先週はあの大学病院とまた関わらなくてはならないのか!?

そう思ったら、

とても気が重くなり痛む身体が恨めしくなりました。



左の口角がまた先週切れましたタラー

この4ヶ月で何回も切れた口角。

口角切れてると、歯科医院でも痛くて大変でした。

レントゲンを次に変更して貰ったけど、

また歯科の前日に口角が切れました笑い泣き

歯科医院の治療は本当困っています。

ストレスに弱い私がとても残念で嫌いになります。