こんにちは。
ミリーです。




私の転院のことで、
ここには書けなかったけれど考えて調べていたことを書き残しておきます。


【逆紹介されること】は誰にでもあることで、
出来るなら近くで通いやすい病院で治療を受けたい!!
それが患者である私達の本音だと思います。
本来は良くなった患者さんを地元の病院へ戻すことが逆紹介です。
良くなってなくても、
今回のように教授が変わり、
診たい興味のある患者が変わってしまった、、、そんなこともあるんですキョロキョロ
難病支援センターでは【あるあるだ】と言われました。


年齢を重ねると、
いつまでひとりで通院出来るのか!?
その不安もあります。
何よりも私の問題だったのは、
公共の交通機関を使って通院することが難しいことですキョロキョロ
病院が複数に別れて、
あちらこちらへと通院することも大変ですね。


訪問の看護師さんやケアマネさんとずっと話をしていたんです。
レミケード点滴から注射へとバイオチェンジして、
落ち着いたら転院がしたい!と。


レミケード点滴を継続している段階での転院は危険なのでまともな医師や病院からはお断りされます。


病院からの転院は、
病院のケースワーカーさんやソーシャルワーカーさんや医事課が進めて下さるものです。
ですが、
ご自分でも任せたりせず、
きちんと調べることをお勧めします!
病院の担当者さんに、
お願いしていても何回も顔出して進捗状況の確認と、
電話でも問い合わせすることが必要です。
大学病院の皮膚科の医師から、
「必ずお任せしないで、顔を出して聞かなきゃダメよ。」
と言われました。
たくさんの科の先生が色々アドバイスを下さいましたルンルン


顔を出すことも、
電話を頻繁にかけることも、
迷惑かなと思って私は遠慮してしまいましたアセアセ
訪問看護や医師やブロ友さんから背中を押して貰って、
嫌がられても何回も連絡出来ましたルンルン
その経過は全てメモに残しています。
何月何日、何時、誰から、どんな内容か。
細かく記録していました。


大切なことは、
何回も何回も書き直しをして確認しました。
追い詰めていたのではなく、
言葉の齟齬がないように
「こう言う意味であってますか!?」と細かく確認しました。


私は運良く、
医師や看護師さん達や大学病院の教授まで驚く地元の病院へと転院が叶いましたルンルン


ここへの転院が第一希望でした。
この他にも全部で4つのプランを同時に考えて進めていました。
1つは主治医について行くこと。
この場合はレミケード点滴を継続出来る病院を別に探す必要がありました。
1つは患者会で信用している医師の病院へ転院すること。
内科の主治医がこの病院から大学病院へと派遣されてました。
ここなら内科、皮膚科、リウマチ科、整形外科も大丈夫だと確認していました。
あと2つは同じ系列の大学病院2ヶ所でした。
そして、第一希望の総合病院です。


この5つの情報を調べていました。
第一希望以外は全て可能性がありました。
内科の主治医にはこっそりと、
「ダメだったら先生の大学病院へ皮膚科の先生を頼って行こうと思っている。」
と話をしていました。
「先生も火曜日の午前中診察してますよねウインク
と内緒の話をしていました。


ただ、他の4つの病院への通院は、
身体的にかなり辛いことになる覚悟をしていました。


信頼出来る医師の元での医療を取るか!?
通院するための金銭的負担か、
娘などに迷惑をかけるか、、、?
全てが叶うのはたった1つしかありませんでした。
それに私がいつまで生きるのか!?
そんなことも考えて、
生きていくことがとても辛く感じていました。
何回かなら良いけど、
何年も何年も生きてる限り続く通院。
痛くて寝てられないから治療はきっと必要なはず。


寝たきりで寝ていられる人がとても羨ましく思いましたえーん
酷いですよね!?
寝たきりでいられる人が羨ましいなんて。


完治がないから、
予後はかなり厳しいことが想像出来ます。
強直性脊椎炎は50歳を過ぎたら、
落ち着いてくると言われています。
私は残念ながらそれはないようですタラー
乾癬性関節炎はどうなのか!?
関節破壊が進行してなければ、
薬が使える限り寛解状態が継続出来るかもしれません。
高額な生物学的製剤があってこそですが、、、


今回は転院先にも考えていた大学病院と連携している病院に、
眼科を除いて全て転院が出来ました。
たぶん、皮膚科以外は安定してなかったから受け入れて貰えたかもしれません爆笑


第一希望の病院への大学病院からの転院は、
私だけが突破したようです。
今後はもしかしたら、
私以外にも突破出来るかもしれませんね。


何回も諦めかけました。
気持ちもボキッと数回折れました。
何より新教授が何を考えているのか?
本当のことなのか、
信じられませんでした。


無駄かもしれないけど、
歩けなくなってもひとりで介護タクシーを使って通院出来る病院へ転院するためにあらゆる可能性を探りました。
結論として、
膠原病内科の医師を派遣している大学病院からなら逆紹介で転院の道があるのではないか!?
ウルトラC級のプランを心に秘めて、
新教授と直接話をするチャンスを掴んだことで大きく変わりました。


教授と人を介さず直接話をするチャンスを手にしたこと、
調べて調べて【逆紹介】と言う言葉を上手く利用しました!!
この【逆紹介】と言う言葉が全てを動かす鍵となりました。
これが私の考えたずるく卑怯で狡猾な方法でした。


5つのことを並行して進めていたんです。
どこに転がっても、道が開けるように。
だから、とても疲労していました。


他のクリニックも全て自分で調べてから、
問い合わせをして全て把握していました。


きのうのお天気も目まぐるしいものでした。
曇天から始まり、
晴れて暑くなりました。
夕方には風も強く激しい雨が降きつけました魂
雹が降ったところもありましたね。
雷も鳴り、ビクッとしちゃいました。
リハビリの後、
身体が楽になっていたんです。
午後から怠さと痛みが気になりましたタラー


今の室温は24℃あります。
でも肌寒く感じています
自律神経が狂っていますねぇ〜キョロキョロ


身体の表面の皮膚が冷んやりとしているんです。
手足の腱がかたくなっています。
散歩するとマスクの下は汗をかいているんですよ爆笑
変な身体を持て余しています。
お天気に泣かされますねぇ〜、