この記事はアメンバーで限定してましたが、
隠す必要がなくなったので公開に切り替えます。


こんにちは。
ミリーです





このお話はリウマチ科の主治医との話で、
まだ公に出来ないお話を含んでいます。
全て終わったら主治医に迷惑をかけることがないので、
アメンバー記事から公開に切り替える予定です。



転院の話があったのは2月2日のことでした。
私の場合は大学病院でしか治療が出来ない患者の1人なので、
「あなたは点滴してるから、ここに残るからね。」
と言われてました。
12月の診察の時も主治医から言われてました。


主治医は2022年からリウマチ科に通院しているリウマチ患者さんを地元に送り返すことを2年間続けている最中です。
前にも見かけてブログに書きましたが、
泣いて診察室から出てくる患者さんもいらっしゃいましたタラー
大学病院で治療をする必要がない安定した患者さんを地元に戻す。
これは私は間違ってないと思っています。


大学病院のリウマチ科の主治医の元には、
私のようにリウマチではない患者さん達がたくさん通院しているからです。
地元の小さな病院では診ることが出来ずに、
紹介されて受診された患者さん達です。
聞いたこともない病名の患者さん達です。


私もそうですが、
大腸の内視鏡検査ですら地元のクリニックでは受けられませんでした。
指定難病の強直性脊椎炎があると、
「診たことがない病気だから何かあったらと考えるよ。」と主治医は笑って仰った。
それだけではなく、
乾癬性関節炎(関節症性乾癬)も併発していてレミケード点滴継続中でもあるから。


アスペルガー先生が主治医の時、
転院したくてかなり問い合わせをしました。
その時に知ったんです。
レミケード点滴中の転院はとても危険だと!
だからアスペルガー先生と診察が出来るように努力をしました。
2016年から3年間ですタラー


亡くなられた教授が主治医に変わって下さり、
レミケード点滴も必要な量に変更して下さいました。
そして、強直性脊椎炎の診断もされました。
この穏やかな優しい教授がIL17を見つけた世界的な宝だと言われていることを今の主治医から聞きましたびっくり


その発見の功績でこの大学病院の教授として招かれたようです。
それが2016年でした。
その時もリウマチ科は医師の異動がありました。
何かバタバタしていました。
私の整形外科の主治医のいる地元の総合病院にも、
この大学病院から医師がたくさん来たと聞いていました。



亡くなられた元主治医の教授の空席を埋める教授戦が2023年の5月にあったそうです。
この時私の主治医も出たとご本人から去年の初夏に聞いていました。
主治医は教授戦に敗れましたタラー
その結果、
今の新教授から「君はいらない。」と告げられたと聞いています。
これは私にだけ話をしてくれた内部の話。
ずっと黙って主治医が変わることの不安を抱えながら8ヶ月以上過ごしていました。


主治医が変わることは残念でしかないけれど、
大学病院では当たり前のことです。
受け入れるしかないことでした。
主治医はご自分の患者さんの中でリストに入った患者さん達を2年間かけて、
受け入れ先の地元の病院を探していました。
2月2日の私の前の患者さんも紹介状を渡されて地元へと行かれる患者さんでした、
笑顔で診察室を出て来られて、
ホッとしていました。
混んでいたのは、
こう言う患者さんがいらっしゃるからでした。


教授戦に敗れた医師は追い出されるものなのでしょうか!?


アスペルガー先生は父親が有名なのと、
受け入れ先の病院がないからあと2年で定年になるからこのまま残ることも確認していました。


この時から私はこの大学病院にはいたくないとの気持ちがさらに大きくなっていたんです。
でも、レミケード点滴継続中のことは大きなネックです魂
レミケード点滴の他は2つの製剤しか2つの病気で使える製剤は残されていません。
レミケード点滴は1度中止をすると、
ヒトとマウスのキメラ製剤のため抗体が出来て2度と使えなくなります。
不安定な製剤のため免疫抑制剤の併用が義務付けられています。


転院は正直に言うと歓迎なのです。
ですが受け入れ先の病院があれば、、、のお話です。


もともと喘息の主治医から皮膚科の教授宛に紹介状を出して貰ったので、
2度目の皮膚科への通院をしたのがここへ再び来た理由でした。
そこで乾癬性関節炎が見つかりました。
そして、この大学病院が治療出来る6施設の1つでした。
私は他の病院が良かったんです。
でも喘息の主治医の親友である皮膚科の教授などへの恩があります。
3年前の3月で皮膚科の教授は退任(定年で)されました。
皮膚科の水曜日の午前中だけ特任教授として今も診察されています。
そしてこの教授は私の地元の総合病院の皮膚科医長として診察されているんです。


なおさら、この大学病院には未練はないのです。



金曜日は何も食べられませんでした。
見つけられないだろうと言う諦めの気持ちがあったからです。
ショックでした。
ですがもっとショックだったのは、
乾癬性関節炎も強直性脊椎炎も診察出来ないクリニックへと転院させようとしているこの大学病院です。



転院出来たら幸せ、
もし出来なかったら地獄ですねえー


主治医の新勤務地の病院には、
通えるうちは年に数回季節の良い時に行こうと思っています。
豊洲らしいので、遠いですけど爆笑
何でも相談出来る主治医なので。


月曜日から忙しくなります。
早く落ち着きたいです。
ブログにコメント下さってありがとうございます。
諦めるのは早すぎますね。
出来ることをやってみます。



治療が必要な患者が治療を続ける権利って、
ないものなのでしょうか!?