舞台
『魔術士オーフェン はぐれ旅』


へのご来場、誠にありがとうございました。




"つかめない女はつかまない"




やっぱり、これが結論でしょうか



最後のオーフェンとの応酬も



オーフェンの言葉に腹が立つときもあれば
可愛いなぁ〜と上から思うときもあり


悲しくもあり
みじめでもあり
あきらめでもあり
愛おしさでもあり
憎らしさでもあり





結局今回の物語は



過去の回想も
"オーフェンの記憶の中のアザリー"であり


途中は
"チャイルドマンの見た目をしたアザリー"であり


そして最後も、チャイルドマンの姿を通して
"オーフェンの目からみたアザリー"であり




そしては
小説で、アニメで、コミックスで。
お客様の記憶の中のアザリーでもある。







だから

本当のアザリーなんてきっと誰にも分からない






なんて思いながら
わたしはアザリーとして生きていたわけで






チャイルドマンへの
憧れも、羨望も、恋心をかぶった執着心も。
もはや"魔術そのものへの嫉妬"もあったのではと思う。




そしてキリランシェロにも
義弟でありながらも、そこにはきっと彼の自分への好意に気付いた独占欲や優越感もあったのだろうと思う







斬った相手を石でも動物でも好きな姿に変えられる剣で、なぜ自分を斬ったのか。




アザリーにとって自分という存在は
どこか他人のようなものであったのかもしれない
『好きな風に変われると思った』


だけど結局のところ、自分は自分でしか無かった。





すごく曖昧だけど
わたしにとってのアザリーはそんな女。




きっとチャイルドマンの姿になったアザリーは
感じたことの無いある種の喜びを感じたかもしれない。




最後の闘いでアザリーが勝利し
バルトアンデルスの剣をオーフェンに振るうとしたら
彼女は何を選択したのだろう。
いや、振るわないかもしれない。

きっと彼と昔のように剣を交える事が楽しかっただけなのかもしれない。



すべては憶測でしかないからこそ
彼女はきっと魅力的なのだろうとわたしは思う。







見に来たヨコオさん(某ニーアやシノアリスP)に
『途中まで普段の花奈さんを見てるみたいでした』
と言われ


おそらくその感想を抱くひとは少ないんだけれど、
なるほどたしかによく気づかれた、とまた感心してしまいました。


―武器よ、落ちろ






ただ誰にも分からぬアザリーに
ひとつ紛れもない本物の感情があるとするならば







あの日々の眩しさでしょう。


牙の塔で過ごした、くだらないことで大笑いしたあの日々だけは、どんな感情よりも眩しくて笑っちゃう輝いたもの。







素敵な作品に出逢えたこと
心より感謝致します。

カーテンコールで言ったけど
我々も、声を、音を媒体にする魔術士でありたいと願います。


11月の続編も皆様のご期待に沿えますよう。





どこかに行ったお土産や私を気遣ったプレゼント。
うれしいお手紙。
私のために贈ってくださったお花。
みんなを思って差し入れてくれる栄養ドリンクなど。


本当に、ありがとうございます。



その応援のひとつひとつで
花奈澪の血や骨や筋肉、そして心は形成されていき
千秋楽を迎える。





今回もまたひとつ、舞台を終えることができました。




さあ。






タガステ。
からくりサーカス。
オーフェン続編。
冒険者たちのホテル。





年内も、よろしくお願い申し上げます。



だいすきです。





花奈澪