どうやら宝塚歌劇団を卒業して
ちょうど五年の月日が流れたようです。


そんなともすれば記念日に何をしていたかと言えば
昼間ラーメンを食べに少し外に出た以外は寝て過ごし
夕刻目が覚めた時にはすでに夜の帳が下りており
そこからパジャマのウエストの紐が片方抜けてしまったのをせっせと通したり
洗濯に失敗して黒い服についた毛玉をチマチマ取るなどしていました。


わたしには
何もしたくない日があるのです。


事実上9月からノンストップだった日々に、風邪を掛け合わせたら、一日くらい何もしない日を。と思われますが、きっと病み上がりという事実を加点しなくても、本当に何もしたくなくなるのです。



宝塚。





人生において
はじめての人と他愛もない会話をするとき、一番聞かれる質問はなんでしょう。


「宝塚ってやっぱり厳しいの?」


きっとこの質問は、千回以上されたのではないかと思います。
次点で「宝塚って電車にお辞儀するんでしょ?」
語るまでもない論外の次々点に「宝塚ってやっぱ女同士で、とか多いの?」


世間からみる"宝塚"という認識は、
やはりどうやら、そうらしい。



今になって振り返れば
「ハードだったなあーー(笑)」とは思うが
厳しかった、とは思わない。


一日中ヒールで立ち、踊り続けることも。

ウィッグの注文や、舞台上でつけるアクセサリーや髪飾りを、眠い中ひたすら手作りする夜も。

公演中の、幾度となく行われる早変わりの連続も。
1分あれば早変わりじゃない、とは宝塚でよく言うものだ。


終演1時間後には新人公演のお稽古がはじまるため、すごい早さでお風呂に入って、またお化粧をして稽古着を着る日々も。


ただでさえ金髪なうえに、ジェルやスプレーで、カッピカピになる髪の毛を洗うのが大変なことも。


ほとんどが11時公演だから、毎日8時には楽屋にいく朝も。


お稽古で使うレオタードを、
劇団の2階に来て下さる業者さんに
時々注文しては、可愛いオリジナリティあるレオタードが作ることが、楽しみだったこと。


母に、作品に合ったお稽古用スカートを作ってもらい、稽古場で皆に褒めてもらうと嬉しいこと。


母には、渡り廊下走り隊やAKB48の衣装を模した楽屋着を作って貰って、特にタカラジェンヌの誰にもそれは伝わらないが、その奇抜さに、ひとり満足していた。




稽古中の朝、上級生から順に衣装合わせに行って
自分好みの可愛いドレスが残っているとよっしゃー!となること。


小公演になかなか出られなくて悔しくて泣いたこと。


ダンスが苦手で、ダンスの先生に全員の前で一人で踊らされて、きつく言われて泣いたこと。


宝塚の楽屋はフアンの皆様からの差し入れのスイーツやお食事で溢れていて、密かに同期と「デパ地下」と呼んで、毎日楽しみにしていたこと。


仲の良い上級生や下級生と、オフには旅行に行った。
屋久島やバリ島にいった。


真夜中の豪雨の中、傘をさしてお花見にいくという、くだらないことをしたりした。しかも宝塚の街の住宅街のただの街路樹の桜だ。


せっかくの休演日に何もせず、みんなで
ダラダラパンケーキ焼きながらモンハンしたこと。


楽屋でうるさくしたり、上級生にはたっくさんたっくさん怒られてきた。


一番後ろの一番端で小芝居をしていても
見つけてくれるファンの人がいて、お手紙をくださることはとても嬉しかった。



喜怒哀楽の全てが「宝塚」であったのだ。



だけどそれは当時は「当たり前」なのだ。 
厳しいと思ったことはなかった。
それが日常だったのだから。




こうして記憶を辿れば
どうやら、私はちゃんと、宝塚歌劇団にいたみたいだ。




「なみおは宝塚っぽくないよね」とよく言われる。
それは褒め言葉だと思っている。


わたしは、"卒業"したのだから。


もちろん、辛い記憶、苦しかった記憶もそれはそれは鬼のようにある。



でもすべて、"過ぎた"だけなのだ。

応援してくれる皆さんも、たくさん過ぎてきた。



宝塚時代、毎日入り出待ちに来てくれていた、あの子やあの子は元気だろうか。たまには顔を見てみたい。


宝塚を卒業して、はじめて舞台に立ったのは
小さな劇場。Go'jetシリーズ。一日のお客さんは数十人。あの熱気を忘れないし、すごく楽しかったし、たくさん来てくれたあの皆は元気だろうか。


そこからしばらくは、色々な劇団さんの小劇場舞台にたくさん出させて頂いた。
面会というシステムがあるから、小劇場界隈ファンの皆様が、たくさん声を掛けてくれましたね。憶えています。



そこから最近は2.5次元舞台への出演が多くなりました。ゲームやアニメで育ってきた自分にとっては、とっても幸せなお仕事です。
原作があるものを演じるのは、とても責任のいること。キャラクターの物真似なんかじゃ決して、いけない。
だって原作を、キャラを。すなわち「誰かが既に愛しているもの」を演じるのだから。我々役者は、それよりも大きな愛をキャラクターに注がなくてどうする。

だから、原作をお好きだった方に、嬉しい感想を頂けたら、とても嬉しい。
男性俳優ファンの方からお手紙をもらうのも嬉しい!
2.5作品で知ってくださった皆様、ありがとう!


数日前、花組の公演を観に行った母が
「よく、このへんの席でみおちゃんを見たなと思い出した」と言っていた。
二階席の中ほどでの観劇だったらしい。

そうだ。下級生の頃、家族に取ってあげられる生徒席は後ろの方で。よくそこからオペラグラスで探してくれていたものだ。


母も父も共に、宝塚を卒業した今も全てのわたしの舞台に足を運んでくれています。
オスちゃんとローちゃん(我が家の犬、正式名称はオスカルとロザリー)にも、1回くらい舞台姿を見てもらいたいものだ。


そんな母と会話していたときの
「エリザベートで(宝塚を)辞めて良かったね」と言う何気ない一言が、とても心に残った。




宝塚を目指し始めたことも
宝塚に入ることも、
宝塚での日々も
宝塚を卒業することも


家族にたくさんたくさんの負担をかけてきた。
宝塚で私はスターになれたとは言えない。



辞めてから舞台を続けるなんて
退団当初は微塵も考えていなかった。
ただ、もう今だなと思っただけだ。



あのとき辞めて良かったね、と言ってもらえる
人生を送れているのならば嬉しかった。
わたしのこの5年間は報われたのかもしれない。


5年間で通り過ぎてきた全ての作品、全ての役に、ありがとう。



過ぎたものは、無くなるわけではない。
全て、わたしの細胞となったのだ。




といっても


同期の結婚式にいけば
「みおってアイドルみたいなのやってるんでしょ?」と言われたこともある(やってない。そういう可愛い衣装は沢山着せてもらってますけど。)


偶然2.5次元作品を観にいって後輩に遭遇すれば
「なみおさんこういうのよく見るんですか?」
と言われたこともある。
(別に趣味というわけでもないんでなんと言えば)
「そ、そ、そうだね、、、同業みたいなもので知り合い沢山いるんで、、ごにょごにょ」と、うまく説明できなくなる。



わたしなんて、まだまだなんです。


もちろんみんな悪意は無いんだけど
理解されずに少しだけ、プスッと心に細い針が刺さるときもあります。





でもいまはようやく、自信を持って少しは言えるようになってきたかもしれない。


「2.5も小劇場も立派な演劇で、年に11本ほど舞台やらせてもらってます!ちなみにそこそこアクションもいまは上手いです!!!!!」と。笑。


昨日、まっちーがTwitterに歌を上げてくれていましたね笑。ほんと一年前は死ぬほど回し蹴りの練習に付き合ってくれたなぁ。




さて、年内最後の舞台は「冒険者たちのホテル」
チケットは即完売だったみたいで、取れなかったよ、という人が大半ですよね。応援してくれてる皆様、ごめんなさい。
DQ10ユーザーの皆にもたくさん見て欲しかった。


わたしにとっては今年11本目の舞台になりますが、
主演の今江大地さんの、初外部、初主演作品。
はじめては、1度しかない。
座長本人にも、今江さんファンの皆様にとっても、絶対宝物の記憶になってほしいから。
精一杯頑張りたいと思います。


その作品をやること、その座組に出会うことは、その台詞を言うことは、"はじめて"であることを忘れちゃいけない。

舞台に立たせてもらえることは当たり前じゃない。




五年間。
舞台に立ち続けてきて良かったなと、今日は少しだけ、自分の生きてきた道を肯定してあげたいです。






何もしたくない日は、
こうして過去を振り返るのにちょうどいい。





3行にまとめるなら。




どの時代も!
花奈澪を見つけてくれて!!!
ありがとう!!!!





あと1行、欲を言っていいのなら


これからも応援してください!!!!






こんな私に出会って、
応援してくださっている皆様
本当にありがとう


わたしにとって
宝塚歌劇は
敬意と感謝と生涯終わらない憧れ。


花組観に行くのが楽しみだなー!



なみお。