君死ニが終わったことで
今年の出演舞台が終わったということで
また少し文章を。
せっかく君死ニが終わって心がぽっかりしているときに書いてしまおうと思います。
ラジオのコメントでも話したんですが
本当にこの1年はとてもわかりやすい一年だったんです
「2.5次元作品で、大きな劇場に立つことがおおかった」
横浜アリーナのど真ん中で一人で踊ることなんてもう絶対人生で、ないですよ!笑。(※テイステ)
各作品への忘年は、
もう少し年の瀬が深まってから書きたいなと思います。
今日から逆転裁判のお稽古もはじまるし!
宝塚時代、成績が良いわけでもスター路線でもない、別にウルトラ顔がいい訳でもない私がやめてからもこうして表仕事を続けていることは、本当に稀なケースだと思っているし、きっと宝塚界隈の人には、あまり認められない。
在団時代は、在団時代でものすごく楽しかったけれど、わたしは諦めた。
だって宝塚を知ったのも、バレエはじめたのも
中2とか中3だもん!
3歲とかからバレエやお歌をしてる他の同期に、絶対一生成績じゃ勝てないんです。
だからわたしは、劇団のレッスンもそこそこに、日夜ネトゲにあけくれた日々もあった。
モンハンもひたすらしてた。
ひとから見れば無駄な時間に思えるかもしれないけど
辞めた今
沢山ゲーム原作の舞台をやらせてもらっていることが数奇な運命に思う。
ゲームのクリエイターの皆様とは、大航海時代Onlineの話が出来る。
ゲームで集まる、ゲームで仲良くなるともだちがいる。
そして舞台の記事はファミ通に載る。
そろそろ自分を少しだけ認めてあげたい。
決して宝塚にネガティブな感情があるわけではない。わたしはあの日々を心から愛しているし、あの頃の写真を見れば笑顔になり、心からくだらない話で笑える友は宝塚時代の仲良し四人組で、柚香光が輝くたび、このひとに出会えていてよかったと思う。
人生の寄り道は無駄じゃないと思ってる。
真っ向に生きるだけが道ではないと思ってる。
大通りのブランド店も素敵だが、路地裏にある小さなお店のコーヒーにも魅力があるように。
寄り道こそ本質かもしれない。
自分は自分の生き方を肯定してあげたい。
わたしがどんなキャラクタも比較的演じられるのは幼少期からギャルゲー美少女ゲーであらゆる女キャラクタテンプレートを刻み込まれたからだ、とも思ってる。
でもテンプレートに全く当てはまらない
キャラクターではない
いびつで複雑な像が最終的に出来上がったのが
"サクラ"で。
本当に面白い日々だった。
そして野心みたいなものもあったと思うんです。この数年。
"トップスター"以外だって、認められる人になりたい、って。
もちろん今もなお、売れている訳でもなんでもなくて。
ただ目の前にある”芝居"を自分なりの全力でやって来ただけで。
でもダンスの成績なんて最下位だった自分が、横浜アリーナのど真ん中で踊る日だって来た。
歌の成績もめちゃくちゃ下位だった自分が、シアター1010で、スペース・ゼロで、歌わせてもらった。
成績とか数字じゃない、心をだいじにやってきたつもりではあります。
でもね。
『君死ニ』に関して、
元からものすごくある訳ではない
そういったものがすごく削ぎ落とされて
野心とか私欲とか、見せなきゃ、みたいなココロが
不思議とストンと居なくなっていったんですよ。
ヨコオさんが話してた
「誰かの0点でも、誰かにとっての130点ならそこに価値が生まれる」っていう言葉があったからかもしれないし、
不器用だけど美しくてまっすぐな植田慎一郎という人間が常に隣に居たからだと思う。
お寿司屋さんだったら、出したお寿司の美味しさが評価される。
絵師さんは絵を。
作家は本を。
だけど我々は、どこまでいっても評価批判されるのは己自身だ。己の肉体。己の声。
なのに、評価されなくてもいいや、という本来ならば役者にとって一番恐ろしいはずの境地に達したのだ。ヒロインの立場をいただいておきながら。ただ16回生きた。ただただ16回向き合った。うまく見せよう、なんて意識は二人とも1mmもなかったと思う。ただ目の前の出来事、相手に向き合ってきた。いびつな愛も、死生観も。もはや無我の境地である。怖かった。
生きてたな、って思う。
なんだか慎ちゃんの我執を取り除こうとしたら
自分の我執がなくなった。
んだなぁ、って思う。
最後に残ったものは
3日経った今も消えない
心の空洞でした。
でも空洞になったから
一からまた新しい自分になれる気がする。
逆転裁判はまたね、
バッチバチにきめていきますよ!
狩魔冥ちゃんの魅力を、全力で見せにいきます。
終わりは寂しいけど
寂しい方が忘れない、って
この前観たくるみ割り人形で言ってたから。
また頑張って生きていこう。