みなさま


「空想ペルクライム/Les Nankayaru」へのご来場

 

本当にありがとうございました。

大げさでもなんでもなく

いままで生きてきた人生で一番楽しくて一番幸せでした。

こんなこと迷わず言えちゃうのは、

きっとほんとにそうだったんです。

 


文字に書き起こしたいことは山のようにあって。

 


でも順を追って。

 

まずは

「空想ペルクライム」という第一部の芝居作品について書こうと思います。ものすごく長いし、

これが正解ではなく、筆者でありながら

私の一個人の考察なので、暇で何もすることが無い時の暇つぶし程度にどうぞ。笑。

 

 

脚本を執筆する。

 


とりあえず、人生で初めてでした。

前にも書いたけれど。

そこを誰かに依頼したら、なんかやる意味がないよなって。

 

文章を書くのなんて、

ブログやTwitter、年賀状、日々のLINEくらいです。きっと。そんな私が脚本をかく。

 

自分が書いた本を人に提出する。

しかも知らない他人ならともかく、自分が好きな、言ってしまえば”友達”に近い人々に。

 

 

これが想像以上に恥ずかしさがあるものだと知った。

芝居することなんかより何倍も。

自分から生まれたものを人に見せるってこんなに緊張するのかと思いました。

 

 

八月になんかやろうと、思い立ったのが四月でした。

その当初は、やっぱなんかやる高校だし、学園ものでラブコメとかいいよね〜なんて言ってました。

 

 

 

なんで「空想ペルクライム」の作風に落ち着いたのかなぁ。

 

 

今思い返せば

今年に入ってからずっとエンタメ系の作品・役が半年続いて。心の奥を絞り出すような『芝居』という作品に今年は縁があまりなくて。

宝塚時代と違って、毎月のように舞台に出て。役に出会い。毎月セリフがたくさんあって。そんな日々だけど。

芝居ってなんだろう、舞台ってなんだろうって考えてた。

昨今は小劇場でも多種多様なブロマイドとかチェキ会とか。商業演劇スタンスの興行も多い。

 


やりたいことってなんなのかなって。

贅沢な悩みなのはわかっているけれど

 


「芝居が好き」っていう純粋な感覚になれることが減って来ている気がした。もちろん舞台に立つことは楽しいけど、わたしの思う「芝居」の楽しさが。

 

 

だから一回、自分が、芝居ってものを封印したくなったんだろうと思うのです。 

 

 

私は春花にだけ言いました。

 

「私さ、着ぐるみかぶって一言も話さない芝居やろうと思うんだど、どう思う?」

 

春花はいいました

「その世界観好きだわ、やろ」

 

 


 

それに自分で本書いて自分で好きな人を集めるのに、自分がガンガン露出して良い役やるのはナンセンスだとも思ってた。それよりも、まわりの人の魅力を綴りたかった。 

 


 

正直この作品が万人受けする作品ではないと思っています。

 

 

でもどうしても、

エンターテインメント界を走るそうそうたる顔ぶれを集めておきながらあえて

エンタメ舞台要素を封印した、静かで、淡々と

質感」だけを届けるような舞台に挑戦してみたかった。


そしてその「空気感」「会話感」を作れるのは、近しい感覚を持ち合わせた信頼できる、同じ心と人間性を持つメンバーでしか、なし得ないと思った。

 

 

「これが伝えたいんです!!」ていう大義名分がない物語だって、この世に存在して良いのではないかと。

 

それぞれの人生のように。

 

 

 

それでは前置きはいくらでも語れるけれど長くなりすぎるので今回は「空想ペルクライム」についてお話しましょう。

 

 

 

−空想ペルクライム−

 

 

 

まず書き始めた時に

浮かんできたのは

 

始まり方と終わり方でした。

よくわからないインタビューを受ける3人。

 

そして、ショパンの「別れの曲」が流れる学校で、それぞれの想いが静かに流れるラストシーン。

 

 

「この曲何だっけ・・・?確かショパンの・・・(笑って)タイトルど忘れした」に集約される作品にしたかった。

 

 

そんな中で遡ること6月。

まずはフライヤー(チラシ)用のビジュアル撮影が行われることになりました。

この時点で作品のイメージはあるものの、物語はもちろん完成しておらず。キャストには役のイメージ(台本冒頭にあるもの)だけを伝えました。

 

 

「ツンデレです」とか「バカでうるさい」とかそういうわかりやすい性格で今回の役たちを表したくなかった。

だから星座とか、比較的曖昧な役紹介を書いた。

 

 

この時がメンバー全員で初めての顔合わせとなる。

ほう。。。と思った。笑。

初対面でこんなにすぐ打ち解けるものかとみんながみんな同士でびっくりしていた。

もうすでに本当のクラスメイトみたいだった。

この時に全員が確信した。

「このメンバーでなら絶対楽しいな」と。そして撮れたビジュアルをみてそのインパクトというか、圧倒的正解の存在感にみんなでびっくりした。

すごい。この写真が撮りたかったんだ、と。

 

 

各人の役名に、キャストの漢字を1文字入れているのは

役でありながら役者個人の持つ本質的な魅力が出たら、という願いを込めてです。

 

 

ご観劇くださった皆様から

「あれはどういうことだったんだろう?」という感想を

アンケートやTwitterで多々拝見しました。

 

 

書いたわたしもこの物語の「正解」はわからないのです。

もちろん作者としての空想はありますが。

それくらい、余白と空想余地を残したままにしました。

 

 

あのあと奈蔵さんは死んだのか?

窓枠の外を落ちたのは奈蔵さんだったのか?

これは奈蔵さんの妄想だったのか?

文化祭は行われたのか?

誰目線の話なのか?

 

 

空想」であって欲しいのです。

「ただそれだけ、ただそれだけのお話」で。

それくらい、人生や人の感情って簡単には表せないけど、ちょっとした見方とかきっかけで変わるようなよくわからないものだよな、と思ってるのかもしれないです私は。

 

 

そのぶん、

9人のクラスメイトと先生、そして妹・兄が生きた時間は本物で。本当に舞台上で、あの文化祭前の6週間を、舞台上のたった70分で。生きてくれたから。

成り立ったのだと思います。

 

 

あの謎のインタビューに採用された人が

瀬名ちゃんだったら

「瀬名ちゃんが魔法少女になる70分間」の作品だったかもしれないのです。

おとぎ話のようなものだと捉えて戴けると良いかもしれません。三吉がメジャーリーガーになる話や、秋葉がネトゲ界の課金トップランカーになる話だったかも。

 

 

なぜその3人を冒頭の答弁者に選んだかというと

「結局は、『変わる』ことを選ばなさそうな気がした3人だから」です。

物語途中で書いていて、この3人が追試を受けることになった時、あれ、この3人また揃っちゃった、て後から思いました。笑。

 

 

ただの日常を描いたらそれはただの日常でしかない。作品とはなりえない。 

 

 

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空想ペルクライムというタイトル。

ペルクライムは造語です。

ペル」は化学用語のペルオキシドなどに代表される

「多い」という意味で。

例えば「酸素が1個多い」とかそんなレベルの「多い」だけど分子にとっては大きすぎる「多い」

それがなんとなく10代の彼らにとっての小さくて大きい悩み、様々な葛藤の持つものにぴったりな気がしてつけました。

クライムは「罪、犯罪」ですね。

死にたいと思うことは罪なのか、親を情けなく思う感情、自殺することは罪なのか。屋上への侵入という美しく儚い不法侵入罪もかな笑。

 


と言うのもなんか深夜に突然、ヘイトクライム(差別犯罪)ってワードが頭に浮かんで、そこからポンッとペルクライムって言葉が頭に浮かんで、ペルってなんやねんって調べたら、そう言う意味で。あぁ、これだな。と。

 

 

 

まっちゃんや三吉が、自分を変えたいと思っていて

みんなで文化祭に向けて団結していく中で

 

「変えられない事実」「人生は結局決まっている」そんなものの暗喩として、冒頭からずっと『星座』や『占い』を物語の根底にそれとなく流しつ続けました。

 

 

脚本をてこてこぽちぽちと少しずつ継ぎ足して行く時。

あー、串カツ屋のソースみたいだななんて思いながら。

例えば制作面だったり、

なにせ7月は2本舞台に出演したりして

他のことに脳みそを奪われている時は

「空想ペルクライム」全然筆が進まなかった。

書き進めることを許してくれなかった。

それくらい自分の中で、

脳みそや心がフラットな時にしかこの物語は私を世界に入れてくれなかった。

それがもどかしくて、自分はやっぱプロの物書きじゃないなーなんて思った。早く書かなきゃいけないのに!って。

 

 

話がそれました。

 

 

日常を描きたいからって

ただの日常を書いたってつまらないので。

彼らの持つ小さな青春のキラめきをうっすら引き立てるために、

明るい日常と同居するあえての違和感

誰にも伝わらない設定をぽちぽちと入れました。

 

 

物語冒頭

「高校二年生の夏、ただそれだけ、ただそれだけのお話」

この物語は柏木くんのお母さんが亡くなられた9月15日から11月3日の文化祭の日までのお話。

明らかに秋のお話なのです。まずこれも一つのですね。

 

 

でも、奈蔵さんの星座、蠍座は「夏の星座」なんですね。  だからある意味、夏のお話でもある。

 

 

 

そして柏木くんとのLINEで出てくるオリオン座。

その後みんなで見ることになる星空。

一番見えやすい=常に見える=好きな人のことはいつも考えたり目で追ってしまうような、そんな淡い恋心、柏木くんの存在を表していて。

 

 

 

でもギリシャ神話で

蠍座はオリオン座を殺してしまうのです。

 

ここが、柏木くんに死んでほしくなくて

自分が死ねば、と発想してしまう奈蔵さんにリンクしています。オリオンを殺す蠍になりたくなかったんですね。

 

あともうひとつ。

オリオン座とさそり座は同じ空に現れることはない。

どちらかが沈めばどちらかが現れる。

そういうことです。


 

最初と最後のシーンの他にもう一つやりたかったのが

奈蔵さんが傷ついた時にカットインで流れる「ミカヅキ」という曲。この曲が、なんともこの作品にマッチする気がして。どうしても使いたかったんですね。

「今宵も頭上では綺麗な満月がキラキラ」という歌詞。

基本的に都心で流星群が見れるような日はきっと、新月かそれに近い月でしょう。

満月の日は、明るすぎて星空はあまり見えない。

だからこの歌詞に対してこのシーンも

 

 

 

基本的に、

頭に浮かんできたことを

カタカタとPCに書き込んでいったのがこの物語なのですが

一つだけびっくりしたことがあります。

 

脚本を描きながら物語上で、屋上にまっちゃんとクラスメイトが星空みにいきたいな〜文化祭前だからそうだな、10月20日過ぎくらいに。どうせならオリオン座って流星群とかあるのかな。無くても嘘でオリオン座流星群てことにしちゃえ〜

とか思ってググったらですね。

 

 

本当に今年の10月21日がオリオン座流星群が見える日らしいんですね。これはかなりびっくりしました。奇跡かと。

このクラスメイトと過ごした日々が、本物だった証拠みたいで、すごく嬉しかった。

 

だから今年はみんなで10月21日にこの作品を思い出して星空見上げたいです。

 

 

クラスメイトの会話に関しては

 

私こう見えて、宝塚歌劇団ってところにいたもので

「高校二年生」っていうものを体験したことがないのです。

ましてずっと女子校でしたし。

 

 

 

だけどなんか、書き始めると勝手に秋葉や三吉や宮園さんが。春原さんと村長くんが。まっちゃんが瀬名ちゃんが。

会話してくれるんですよね、脳内で。面白いなぁ〜って思いました。なんかパラレルワールドと行き来する、みたいな感覚でした。

 

 

そんな中で異色を放つのが「柏木くん」ですね。

 

 

柏木くんと向き合うのが一番苦労しました。

柏木くんはみんなに本心を見せないけれど、

わたしにも最初はなかなか見せてくれなくて、書くのに苦労したし、だから寿大も、柏木くんを掴むのに戦って悩みもがいてました。

柏木くんの会話相手、奈蔵さんは「喋らない」

つまりじゅだいにとってこれは「会話しない会話劇」で

誰かがセリフで説明してくれない。恐ろしい集中力がないと多分できない役だと思います。

 

でも不思議なもので、うさぎの頭を被っていてこちらから柏木くんの顔が見えなくても、どんどん柏木くんの考えてることや微細な感情や日々の揺れがわかるようになっていって。

今日はこうだったね、ああだったね、って。

柏木くんもこちらの感情の揺れを全て汲み取ってくれて。

 

すごいなって思った。

一回封印してみようとしたはずの「芝居」の感情が、どんどん溢れ出てきて。自分で自分に着ぐるみ被せて、いろんなことに気づいた。あ、このためだったんだなって思った。芝居好きだって思った。制約したのに、どんどんしまってた感情と芝居の気持ちが溢れてきた。相手と芝居することの楽しさを思い出せた。


 

まっちゃんの魅力が透明なクリスタルなら

柏木くんの魅力は白。

何色にでも染まってしまうような危うさを持っていて。

自分を黒色だと思っているけれど、

それは本当は真っ白だから。みたいな。イメージでした。

一見してしまえばつかみどころが難しく淡々とした柏木くんを魅力的にできるのは、日頃見せるムードメーカーな明るい寿大の、それと真逆の一番深いところにある繊細なまっすぐさと透明性という本質しか無いなと。

 

 

そして、柏木くんは嘘つきだったと奈蔵さんはいう。

炭酸飲めないとか。

みんなの前で平気なふりをしているところとか。

奈蔵さんの日記を読み終え三吉に「ん?裕也?」と言われ

出る「あ、ごめん、大丈夫」とか。

 

 

果たして柏木くんの

「死んだりしないから」がなのか。

奈蔵さんが死ななかったら柏木くんは本当に自殺していたのか。それは皆様のご想像にお任せしたいと思います。

 

 

だからこの物語のところどころにある小さな嘘は

奈蔵さんから柏木くんへの嘘のお返しなのです。

 

 

奈蔵さんの願いが

「喋れるようになりたい」でも

「柏木くんと仲良くなりたい」でもなく

 

「うさぎになりたい」だった理由は

ちやほやされたいとか、変な目で見られたくないのは建前で、本当の本心じゃないんだろうな、とか。

 

 

生まれつき喋れなければ、

これ以上を望まないから、だったかもしれません。

 

 

ラストシーン。7人が既読で未読が2人。

さて、何人のグループLINEなのか。

 

 

 

あとは三吉・秋葉・宮園さんの絶妙な距離感が書いていて好きでした。飲んでる飲み物とか、そんなことに気付いたり一喜一憂する甘酸っぱい感じ。

 

 

 

一番好きなセリフは?と聞かれると

宮園さんがよく思い浮かびます。

「君の名はみた?」とか。

「ビックル飲むと思ったー」とか。

 

三吉のダサいからカッコイイところ。

三吉苦労してたなぁ。不器用で考えすぎで。でもそこも三吉っぽいんだ。それが魅力で愛おしいんです三吉は

三吉の朝のモノローグ、大好きなんです。

 

ゲームしてるように見えて、一番周りが見えてる秋葉くん。

言うこと一個も無いくらい、一瞬で、スッと理想の本の中での立ち位置に入れるのがみおくん。尊敬。

 

宮園さんに関しては、さすが宮島小百合としか言い様が無い。本のイメージを宮島テイストで味付けた上で、こちら側が「はい、その宮園さんの方が好きです」となる。

 

誰より物事の本質を見抜く瀬名ちゃん。

瀬名ちゃんも決してぶっ飛んだ電波少女には絶対したくなくて、その絶妙なラインを試行錯誤しながら理想の瀬名ちゃんを作り上げてくれました。

瀬名と先生のアイスキャンデーの話ががとても好き。

 

誰もが、こんな人いてほしいと願う春原さん。

ああ、まいちゃんだいぶ変わったなぁと。頭で考えずに役の居所を見つけてくれた時は嬉しかったなぁ。

まいちゃんの魅力はそれでいいんだよ、て思ってた。

 

リアリズムな色香を放つ村長くん。

これを出せる役者は、演劇業界にはいない!wと誰もが言う。演劇業界の人では無いから故の魅力は計り知れない。固定概念を払拭してくれる。

 

この物語の丁寧な起爆人、まっちゃん。

松田実里の魅力はここだ、って信じてた。優しいからいつもどんな役でも全力でやっちゃうんだけど。

でも本当の魅力はねこっちなの、なのでこの役にしました。想像をはるかに超えてくれた。

 

 

この人なくしてこのクラスメイトは生まれない、しんご先生。言うこと無いですよね。こんな先生だから、こんなクラスメイトたちなんです。

 

 

 

各キャスト個人への熱い想いや写真たちはまた別ブログにて。

個性とか「キャラ」という言葉では表さない、実にリアリズムのある役の人物そのものとして存在してくれた9人、最高の兄弟姉妹を演じてくれた日替わり3名には感謝しかありません。

 

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あとは・・・舞台なのに終演後に

映画館ばりのエンドロールを流すのがね。

「なんかやる感」ですね笑。


でも映画っぽい作品にしたかったんですよ。

だからフライヤーも映画のチラシっぽくしたくて、あんな感じに作りました。

 

 

場当たりしながらスタッフさんたちと

「いや〜最高に頭悪いね〜笑。ほんとばかだね〜笑。」

て笑いながら見てました。

 

 

 

総じて

 

 

こんな作品になりました。

 

 

「空想ペルクライム」

 

 

みんなで過ごしたあの文化祭前の六週間を

生涯忘れないと思います。

 

2年D組。

 

チョコバナヌ屋さん。

いつかみんなでやりたかったね。

 

 

 

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たくさんの感想ありがとうございました。

ブログやツイッターでもまだまだ感想頂けたら、

どっかでお答えしたいなと思ってます。

 


世界観を体現できる美術を作ってくれた

照井さん、本当にありがとうございました。

 

照明・音響・映像その他も。そちらはまた改めて。

 

 

それでは次はハチャメチャやらせていただきました

Les Nankayaruについて、かな笑。

 

中目黒帝国劇場と中目黒武道館へ思いを馳せて。

また書きたいと思います笑。

 

長いブログ、ご拝読ありがとうございました。

 

奈蔵なな役

作・演出 花奈澪