死ぬことは生きること

 

僕が死んだら、遺骨は、妻千恵が眠る福岡県糸島市の墓に入れるよう娘に頼んでいる。

骨壷は、友人である佐賀の陶芸家、川本太郎さんに作ってもらう。

残された家族に迷惑をかけないように、エンディングノートの準備もしよう。

 

しっかり、死と向き合ってみる。そうすることで、生きようとする力が出てくる。

 

「死ぬことは生きること」なのだ。

 

追悼コンサート「いのちのうた」(2023年11月23日)  Photo by chiyori

 

下関市立安岡中学校(2018年12月6日)

 

小学校の授業の教材に(2012年7月2日)

 

千恵が「人がいつどうなるかなんて、誰にも分からない」と言っていた。

義父も親友の伸太郎も、仕事仲間も、突然、いなくなった。

 

死とは実にあっけないものだ。

死は不意にやってくる。

死はどこにでもある。

死から逃げることはできない。

でも、死が終わりとは思わない。

千恵が、そう感じさせてくれている。

 

 

17年前、千恵が綴ったブログ「骨になるということ」。この1年後に自分の肉体が消えてしまうとは、想像してなかったと思う。僕の残りの人生はあとどのくらいなのだろうか。できれば、あの日の大村湾のように最期の日まで穏やかであってほしい。

 

骨になるということ(2007年8月14日)

 

生前より、父が希望していた海への散骨。

 

亡くなってから3年目の今年の盆に、家族がゆったり集まったので、ようやく実現することができました。

 

 

私の周りには、分骨や散骨をしている人はけっこういて、亡くなった人ゆかりの土地に骨を埋めたり、小さなケースに骨を入れて持ち歩いたりしている人も知っています。

 

 

骨を持ち歩いたところで、どうこうというのはないのでしょうけれど。

やっぱり、身につけたり身近に置くことによって、大切だった人が守ってくれるような気がするのは、不思議なものです。

 

 

父は、墓にあまり執着がなかったのですが(本当は、墓はいらないと言っていました)、そういうわけにもいかないので、墓にも納骨して。後は実家に置いて母が管理していました。

 

法律上は、散骨や分骨はだめなのかもしれません。

 

 

でも、法の「すきま」を縫って、みんな、故人の骨やお墓を守っているようです。

 

 

骨は必ず墓になければならないとか、何が正しいとか、どの宗教が良いとか、そんなのは自由でよいと思うのです。大切な人が亡くなったら、できるだけ、その人の遺志に従って残された人が行動すれば。

 

 

父の唯一のストレス発散は、大村湾での魚釣りでした。

 

 

突然死んでしまったけれど、元気な時からよく「俺が死んだら、骨は海に撒いてくれ」と、耳にタコができるくらい聞かされていました。

 

 

ですから・・・

 

 

 

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みんなで波止場に行って、

 

 

まずは、長男である弟が、撒きました。

 

 

続けて、母、妹夫妻、旦那。

 

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そして、

 

ムスメも・・・

 

大喜びで、またもや、ムスメ・・・

 

最後に、私。

 

私にとっては大きくて、存在感のあった父の骨は、ぽろぽろしてて、白くて軽くて。

そんな父の骨を手の平に握りしめ、海に撒く気分は、何とも言えないものでした。

 

 

海は、とても、凪いでいました。

 

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何とも言えない気分を味わいましたが、

また一つ、みんな、前進できたような気がいたしました。

 

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日本に初めてできた海上空港です。

 

 

私は、この空港を見ながら、この凪いだ海で遊んで育ちました。

 

 

ここの凪いだ海のように、

父の魂とみんなの心が、今後もずっと凪いでいますように。

 

 

 

人間は、みんな、死んだら骨になります。

 

 

偉い人も、名誉があっても、権力があっても、お金があってもなくても。

 

 

それだけは、平等にやってくる。

 

 

だから。

 

 

私は、お金も権力も地位も財産も、なあ~んにも持ってないけれど。

 

 

ムスメに何が残せるのか、ちっともわからないけれど。

 

 

やっぱり、地に足つけて、しっかり生きていかないかんと思うわけです。

 

 

そんなことを考えたお盆。

 

 

奇しくも今日は、父の誕生日。

 

 

お父さん、誕生日、おめでとう。

 

 

*今回の散骨について

 

 

父の遺志に従って遺骨の一部を散骨しましたが、散骨について、日本では賛否両論さまざまです。遺骨の扱いとして適当ではない、と考える方もいらっしゃいます。

それに、国によっても大きく異なると思います。韓国の映画を見ていますと、湖や海に故人の骨を撒く姿はよく捉えられています。日本では、法律上きっちり決まっているわけではありませんが、骨は、一般的に産業廃棄物と同じ扱いを受けます。

 

なので、撒く場合は、できる限り粉状の物を、少量撒く方が無難です。

 

あまり大きな骨を大量に撒きますと、もしかしたら、数日後に、「白骨が海から発見された・・・・」なんて、騒ぎになるかもしれませんしね。