変わるべきは子どもではなく・・・

 

昨日、愛知県日進市で話をさせてもらった。

三重県四日市市から駆けつけてくれた2人の母親がいた。

 

母親の1人、赤星純子さんは、16年前、亡き妻千恵のブログに出会って「人生が変わった」と打ち明けてくれた。

 

それまで、私は何となく生きていた。子どもの卒業式、子どもの成人式、子どもの結婚式・・・。そのときが訪れれば、当たり前に目にすることができると思っていた。でも、そうじゃなかった。日々、生きていることが奇跡の連続であることを千恵さんに教わった。ぼーっとしていてはいけないと思った。千恵さんは人生の師。私の生き方を変えてくれた(赤星純子さん)。

 

赤星さんは今、仲間たちとともに「弁当の日」の上映と僕の講演開催に向けて準備中。

 

 

元気をもらった。

 

活動を続けていく中、誹謗中傷を受け、心が折れそうになることがある。

じっとしていた方が楽だ。そう思って、今年はずっと家に引きこもっていた。

 

仲間の存在がどれだけ勇気づけられるか。

また、動こう。頑張ろう。

そう感じさせてもらえる出会いだった。

 

 

 

「食育」って大嫌い。

「弁当の日」って大嫌い。

「親の愛情を試されている」感じがして気持ち悪い。

 

そんな声をよく耳にする。

 

「食育」という言葉は便宜上、使っているだけ。

「弁当の日」を広げることも目的ではない。手段である。

 

僕が伝えたいことは、ただひとつ。

 

自分の命は自分で守れるようになること。

 

子どもたちが天寿を全うできるように、そのための環境を整えたい。

変わるべきは子どもではなく、子どもを取り巻く環境(大人)なのだ。

 

映画「弁当の日」上映後の講演。

 

講演が終わった後、「おつかれさまでした」とホットコーヒーを持ってきてくれた女の子(ここなちゃん)。やさしいね。ありがとう。

 

 

会場近くの駅のホームで、おばあちゃんが僕に近づいてきて頭を下げた。彼女は聴講者のひとりだった。

 

「私は、息子に何もさせないまま育ててきた。身の回りのことを全部してあげてきた。息子は、家事も何もできない大人になった。そんな息子を見て、料理のひとつでも教えておけばよかったと反省している。今からでも遅くないですよね」

 

僕は「もちろん、遅くないですよ」と答えた。

 

別れ際、おばあちゃんは「帰りの新幹線の中で食べてください」とチョコレートを差し出した。封の切られた食べかけのチョコレートだった。僕は、博多行きの新幹線の中で、ハイボールを飲みながら全部食べた。

 

空き箱は、名残惜しくて捨てられず。自宅まで持ち帰った。